花夜語り

□第一話 流れ出した時間
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―初夏。深緑が薫る季節。
生い茂る木々は日の光を受け、生き生きとその枝葉を広げている。
木々の間から聞こえるのは蝉の声。
蝉は長い眠りからようやく目覚め、夏というこの時のために授けられた生命を、その命尽きる時まで無駄にせぬよう精一杯鳴いている。
なんとも儚い運命(さだめ)にありながらもそれを感じさせない程懸命さが伝わってくる。

そんな自然の雄大さを感じさせる森の中を一人の少年が歩いていた。

「はぁ…はぁ…」

栗色の髪は風に揺れるが、顔から首にかけて汗が伝い、息を切らしながら少年は森の中をひたすら歩いていた。
無理もない。彼の両手は大きなスーパーの袋により塞がれている。

「はぁ…はぁ…あと少し…」

息も切れ切れに少年は呟いた。
夏の焼けるような陽射しに、降りしきる雨のように頭上から降り注いでくる蝉の声。
少しでも気を抜けば意識が飛んでしまいそうだ。それでも少年は茶色の瞳で前だけを見据えて歩く。

(ああ…なんで俺はこんなことしてるんだろう?)

ふと、そんな疑問が頭を過ぎる。否、彼の場合は常と言った方が正しいだろう。
少年の名は識守 泉(しきもりいずみ)、16歳。
世間の学生たちは夏休みを満喫している…はずなのだが、彼は普通の学生たちとは少し違う夏を送っていた。
何がどう違うのかと言うと…

「あ……っ!」

泉がふと顔を上げると、前方に新緑の木々の間に聳え建つ古い屋敷を背景に佇んでいる着物姿の女性。

「麗華さん!」

泉は残していた力を持って駆け出す。
麗華と呼ばれた女性は彼の姿を認め、ふわりと微笑んだ。その微笑みはとても美しい。
風をきり、走って、走って、ようやく泉は麗華の元へ着いた。

「はぁ…はぁ…麗華さん…!」
「お帰りなさい、泉。
遅いから心配していたのよ」
「す…すみません。はぁ…はぁ…荷物が…重くて…」

立ち膝に手をつく態勢で息を調えながら話す泉の言葉に、瞬間、微笑んでいた麗華の表情が一気に変わった。
ふぅ…と溜め息をつくとじと目で泉を見下ろす。
「……荷物が重い?そう…。
全く…情けないわね」
「…え?」
「情けないって言ったのよ。
若い男の子がこれくらいの荷物で息を切らすなんて軟弱にも程があるわ。もっと鍛えなさい」

呆れたようにそう言うと麗華はくるりと泉に背を向け、屋敷の門を潜って行く。あまりの態度の変わり様に呆気に取られた泉は思わずその場に
立ち尽くす。
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