第4取調室

□つまんない
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黒は。
誰もいない部屋の中、ゴマフアザラシの抱き枕を抱き締め、ころころと転がる。
掃除が行き届いた床には、埃などは見当たらない。
基本的に黒はこの部屋で独りになる事はないし、掃除はいつも主人格であるもうひとりの自分か、梶原がしているのだろう。
気ままにこうして人格を交代させながら、自分達は生きている。
主人格が気まま過ぎて、最近表の空気を吸っていないのが嫌で。
頼み込んで変わってもらったのに、梶原がいない。
「う〜…つまんない」
…変わるって言ったの、お前だろ?
「そうだ、けど…」
テレビも好きじゃないし。
ぶんぶんと首を横に振ったら視界がくらりと回った。
「かじわらいないんじゃ、つまんな〜い…」
絶対、わざとだ。
梶原がいない事を知っていて、このタイミングでスイッチを切り替えたのだ。
「ねえ、しゅうじ〜……」
そのままばたりと仰向けに倒れた黒は呟いたが、もう応えは帰ってこなかった。
一度深く意識を眠らせると、しばらく主人格である柊二は帰ってこない。
こうして一緒にひとつの器の中で存在していても、そこには何も齟齬は生じていない。
いまのところは、なのかも知れないが。
そして彼には彼の、黒には黒のプライバシーがきっちり確保されている。
共有できる感覚と、出来ない感覚。
柊二が何をしているのか知られないように、意図的に目隠しをされてしまう事もある。
何かと分が悪いのは、自分が主人格ではないから仕方が無い。
開けた窓から涼しい風が入ってくる。
頬をさらりと撫でる風に目を閉じると、どこからか子供の声が風に乗り届いた。
寂しい、という気持ちを何となく黒は覚えている。
天井を眺めていると、あまりの静けさに飲み込まれそうになって。
黒は目を閉じた。
100まで数えて、目を開けたら。
梶原がいないだろうか。
いればいいのに。
「…………」
48まで数えてみたのだが。
それ以上が恐くなって黒は目を開けた。
物言わぬ愛らしい抱き枕と共に、ころんころんと床を転がりまわる。
それにもやがて飽きてしまい、黒はむすっとした表情で起き上がった。
「探検…してみようかな」
普段はそんな気は起こらないのだが、何となく暇を持て余してしまった事が原因だった。
黒は立ち上がり、抱き枕をベッドの上に放り投げる。
別に何を見てはいけない、とか。
ここを開けてはならない、とか。
そういう取り決めは、柊二とも梶原とも交わしていない。
ただ、いつもは梶原がいてくれるので、そんな気も起こらないだけだ。
とことこと隣の部屋に行き、黒は机の引き出しを下から順に開けていく。
一番上の、左の引き出しは黒のために柊二が空けてくれた。
そこにはがま口の財布や、黒の宝物が入っている。
からりと一段ずつ引き出しを開けながら、柊二のスペースには一切無駄な物が無い、と黒は思う。
何が無駄で、何が必要なものなのかはうまく判断できないが。
一番上の、右の引き出し。
そっと開けてみると、そこにはオイルライターが入っていた。
「なんだっけ、これ……」
以前、まだ自分が尖って尖って存在していた頃。
使った覚えがあるものだった。
ライターを手に取り、黒はかしゃん、と火を点ける。
オレンジの火を見つめ、黒は首を傾げた。
無性に煙草が吸いたくなる。
「…………煙草は20歳を過ぎてから……」
駄目駄目、と首を振り。
黒はライターの蓋を閉じて引き出しに戻した。
「柊二も独りだと、寂しい?」
何も言わないもうひとりの自分に問いかけてみる。
耳を澄ましてみたが、やはり何も声は聞こえない。
「………いじわる」
大体、根が意地悪なのだ、柊二は。
きっと、この言葉が聞こえる場所にいるに違いないのに。
黒は、本格的に寂しくなってしまう。
寂しいだけならいいのだが、不安になると自分でもその感情を持て余してしまうので、困る。
寝室の方へ戻り、黒はぽすっとベッドの上に倒れ伏した。
手を伸ばし、抱き枕のゴマちゃんを引き寄せる。
「かじわら……」
呼ぶまい、と思った名を口にして。
黒はきゅうと抱き枕を抱き締めた。
いつも柊二がするように、身体を丸める。
梶原の足音が聞こえないか、柊二の声が聞こえないか、注意深く耳を澄ませる。
相変わらず、外からは子供が笑う声が聞こえていた。
「つまんなあい……っ!!」
その言葉が、幾度目になっただろう。
不意に自分自身の中から、くすりと笑う声がした。

……独りで留守番も出来ないんだ、黒ちゃんは

「うるさいっ柊二だって、俺がいないと駄目なくせにっ」
もう、次は何かあっても助けてやらないから。
黒はそう呟いて顔を伏せる。

……くーろちゃん

「そんな声で呼んでも駄目っ!!柊二なんか、キライっ意地悪っ」

……ごめん?

ふと柊二が笑いを抑える気配がした。
その途端、ふわりと頭を撫でられて。
黒は目を開ける。
「ごめんね黒ちゃん、独りにしちゃって」
柊二とのやりとりに気を取られている間に、いつの間にか梶原が帰ってきていた。
「かじわら……」

……良かったね、黒

柊二が呟く。
つまらないという言葉を連発する自分が、寂しくないように。
彼が一緒にいてくれたのだ、と。
黒は梶原に抱きつきながら、そう思った。

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