第4取調室

□存在の証明
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時々
『何者でもない』自分に
あこがれたりするけれど

本当に自分が何者でもなかったら
それはそれで
不安な事なのかも知れない


親であるあなたも
子であり、孫であり

自分は独りだと思っているあなたも
知らないうちに
誰かの心を支えているのかも知れない


ふと、そんな事を思ったんだよ






「何見てるの?」
床に寝そべっている秋葉が開いているものを覗き込み、梶原はそう問いかけた。
問いかけた後で、それがアルバムである事を知る。
そのアルバムは以前、秋葉の父親、貴之がくれたものだ。
記憶を失くした息子のために。
実家にあった写真の中から、貴之が選んだものを一冊のアルバムにしたのだ。
「どうしたの?何かあった?」
梶原は一度、秋葉にそれを見せてもらった事がある。
秋葉が生まれてから、高校生あたりまでの写真だ。
それは、恐らく一番曖昧な記憶しか戻らなかった辺りのもの。
「ん………?」
頬杖をついたまま、秋葉は梶原を見上げる。
その表情は穏やかで、梶原は少し安堵した。
「ちょっとね……うん……」
微笑して、秋葉はアルバムに視線を落とす。
「さっきから黒が……難しい事を言うから」
秋葉の口から、もうひとりの自分の名が出て来た。
梶原は秋葉の側に座り、秋葉の背を撫でる。
床の上は身体を冷やしてしまうので、本当はもっと別な場所で見ればいいのだが。
もう少し涼しくなるまで、と、ラグマットも出していないのだ。
次の休み、天気が良ければ。
恐らく部屋の中を秋仕様へ変えなければならないだろう。
季節がまた動いていく。
「黒ちゃん、なんて?」
「いや……うん……」
秋葉は言葉を濁した。
ぱらりとアルバムを捲り、押し黙る。
秋葉が視線を落としているそのページには、家族の写真。
随分前に亡くなったという秋葉の祖父母や、両親、兄と妹。
少し勝気な瞳で、少し照れくさくて居心地が悪そうに。
幼い秋葉がそこにいた。
「家族って何?って…言うんだよね。黒が……」
「………」
秋葉の言葉に、梶原はふと数日前に黒と過ごした日の事を思い出した。



壁にもたれ、先週実家の本棚から引っ張り出してきた古い詩集を読んでいたのだが。
どうやら睡魔に襲われてしまったらしい。
文字の意味が段々頭に入らなくなってくる。
梶原は軽い溜息を吐き、開いていたページに指を挟んで目を閉じる。
少し疲れているのかも知れない。
そう思う間もなく、何かに引きずられる様に身体が重くなり、意識が落ちる。
フローリングに投げ出している足の先に、開けた窓からの日差しが柔らかく当っていた。
ぱたん、と床に本が落ちる。
その音で一度、目を開きかけたのだが。
結局梶原は眠ってしまった。
さわさわと風が吹いている。
それが心地良い。
「………ん……」
微かな自分の声が、遠くに聞こえた。
そうしてどれくらいの時間が経っただろう。
ほんの十数分だったかも知れない。
微かな声が聞こえ、梶原は誘われるように目を開けた。
いつの間にか、黒が側にいた。
黒は床に寝そべり、梶原の太腿に頭を乗せて。
梶原の手から落ちた詩集を読んでいた。
ぽつりぽつりと、目にした言葉を声にしている。
梶原は微笑み、黒の頭を撫でた。
少しくすぐったそうに肩をすくめたあと、黒は詩集を置き、梶原を見上げる。
「ねえ、かじわら……」
いつになく、真剣な眼差しだった気がする。
「なあに?」
問えば、黒は迷うように、言葉を探すように視線を一度揺らした。
「柊二のお父さんとお母さんは、俺のお父さんとお母さんなのかな。柊二のお兄ちゃんは、俺のお兄ちゃん……?」
いつになく、真剣な声で。
黒は梶原にそう言った。
「……急に、どうしたの?」
一瞬答えに詰まり、梶原は黒を撫でていた手を止める。
「ん〜ん、なんでもなあい」
少し慌てたように、黒は笑んだ。
そしてころりと向きを変えると、梶原の膝に手を掛けて身体を丸める。
「なんでもない……」
黒はもう一度小さく呟き。
話はそれっきりになった。



「急に、どうしたんだろうって思ったんですけど……」
秋葉に先日の黒とのやりとりを語り終え、梶原は呟いた。
「さあ……どうしたのかな…。本人は俺にも大した理由は無いって言うんだけどね……」
うつ伏せの姿勢に疲れたのか、秋葉は仰向けに転がると、天井を見つめた。
「存在の証明、かな……」
「…………?」
秋葉の言葉に、梶原はアルバムから目を上げる。
「一時期、俺にもあったよ。そういう感覚……」
自分が何者で。
何処から来たのか。
血を介して続いていく螺旋。
連綿と続いていく中の、その、ひと欠片の自分。
「俺の中で生まれた人格だから…何かそんな事が気になったのかも知れないね…」
黒はまだ、秋葉の家族に直接会った事はないのだという。
もしも会ったとしたら。
どんな気持ちを抱いて、どんな反応をするのだろう。
初めて梶原と黒が会った時のように、敵意をむき出しにするのだろうか。
「……俺がお父さんでお母さんなのかな?黒にとったら俺の家族より梶原の方が近しい存在だろうし」
秋葉はくすりと笑い、誰に言うでもなくそう言った。
しばらく自分の中の声に耳を澄ますような顔をして。
そして、秋葉はまた笑う。
「黒………?ああ、拗ねた…」
ふわり、と秋葉は双眸を閉じる。
「俺にも難しいんだよ……」
秋葉は傍らにある梶原の手を取ると、冷たい指先を絡める。
「よく考えて……3人で話せたらいいですね」
深い呼吸を繰り返し、秋葉は眠りに落ちていく。
次に漆黒の瞳が開かれた時。
そこにいるのが秋葉でも黒でも。
その存在をしっかりと抱き締めよう。
梶原はそう思っていた。

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