第4取調室

□黒ちゃんの笑顔
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「……最近、スイーツ……買わないんですね?」
夕刻。
自宅近くのコンビニのレジに単3のアルカリ乾電池とシェービングジェルを置くと、小柄で若い女性店員がひそりと囁いた。
年齢は、20歳から23歳という感じだ。
化粧も派手ではなく、ストレートの長い髪をきちんと後ろでひとつに束ね、爪も綺麗に切り揃えられている。
どの年齢層の客にも受けは良さそうだ。
彼女にとって秋葉は、顔馴染みの客というレベルに達しているのかも知れない。
週に1回から多い時で4回は顔を合わせている。
小銭入れをポケットから出しながら、秋葉は思わず返答に詰まった。
「今日は、プレミアムロールケーキがありますよ?」
店内はちょうど客が途切れていた。
いつもは挨拶程度しか言葉を交わした事のない店員だ。
笑顔も好感が持てるし、接客態度もとてもいい。
しかし、個人的に会話を交わす事はまずなかった。
何となく、意を決してこちらに声をかけてきたのかな、と秋葉は思う。
「……いつも売り切れてて。今日は珍しく、まだ、あるんですけど…」
ピ、とバーコードを読む音がして。
合計金額が表示される。
彼女は秋葉に声を掛けた事を後悔し始めたのか、ごにょごにょと言葉を濁し、微笑んだ。
スイーツを買ったのは自分ではない、と告げれば彼女は混乱するだろう。
一瞬それを想像した後で、秋葉も彼女を安心させるように笑った。
ほんの数秒の間に自分の中では、会話を聞いたもうひとりの自分が大暴れしている。
『買って!!お願い!プレミアムロール買って!!今度良い子にするから!!』
お願いします柊二さん、と自分の内側で『黒』が叫ぶ。
それにしても、黒の言う今度とはいつの事だろう。
「………それ、おいしいですか?」
まずレジに置いた分の会計を済ませ、秋葉は彼女に問いかけた。
途端、彼女はまるで花の様な笑顔を見せる。
やはり、唐突に話しかけた事を少し後悔していたのだろう。
もう少し早く反応を返せばよかったと思いながら、秋葉は彼女の返答を待った。
「おいしいです。そんなに…なんていうのかな、べたべた甘くないですし。お土産にしても喜ばれると思いますっ」
それを売ったからと言って、彼女の時給には何の影響もないとは思うが。
どうしても彼女は、自分にプレミアムロールとやらを買わせたいのだろうかと秋葉は苦笑した。
「……ありがとう、じゃあ、買ってみます」
秋葉がスイーツコーナーに向かおうとすると、彼女が小走りにそちらに出て行った。
個数を問われて告げると、両手にそれを持ってレジに帰ってくる。
「600円です!!スプーンも入ってますから!!」
どうやらロールケーキと名がついているものの、スプーンで食べるタイプのものらしい。
秋葉は小銭入れからちょうどの金額を出し、レシートと商品を受け取った。



『ねえねえ!!どうして4個買ったの?』
コンビニから外に出ると、風が冷たい。
黒の声がしたが、もちろんその声は誰にも聞かれる事はない。
車の往来もあるし、誰に聞かれる事もないので、秋葉もそっと声に出して黒の問いに答えた。
「お前と梶原で2個。俺と梶原で2個」
カサリと2つのビニール袋が音を立てる。
『…………梶原ずるい』
しばしの沈黙の間に、黒は頭の中でいろいろと考えたのだろう。
ぼそりとそう呟く。
「どうしてそういう理論になるかな?」
『ずるいったらずるい!!』
そう言い張る黒に苦笑しながら、秋葉は自宅の郵便受けを開ける。
入れられていたダイレクトメールを手に、エレベータに乗った。
そこから部屋に入るまでは無言だ。
「じゃあ、俺の、食べていいよ。お前と梶原で4個」
玄関を開け、部屋の中に入ってから秋葉はそう呟いた。
「もうちょっとしたら梶原が来るから。そしたら一緒に食べればいいよ」
それまでお預け、とばかりに秋葉は袋ごと生菓子を冷蔵庫に入れた。
『それも何か、ちーがーうっ』
むう、と黒が唸る。
「じゃあどうしろって言うんだ」
秋葉は着替えながら笑った。
人格は2人分でも、身体はひとつしかないのだから。
「梶原が来るまで、ちょっと我慢してて」
独りの間に片付けてしまいたい仕事があるのだ。
秋葉がそう言うと、黒は大人しくなった。




梶原がチャイムを鳴らすと、部屋の中で微かな物音がした。
足音だ。
それを聞いただけで、梶原はその主が秋葉なのか黒なのかが分かる。
「黒ちゃん、元気だった?」
がちゃりと内側から開かれたドア。
顔を覗かせた彼に、梶原はそう言った。
「………どうして俺だって分かったの?」
精一杯主人格の真似をしていたつもりだったのだろう。
大真面目に眉間にシワを寄せていた黒は、一瞬で梶原に見抜かれていつもの表情に戻る。
「分かるってば」
具体的に『何』が違うのかを問われると困るのだが。
梶原にとって、この2人を見分ける事は容易い。
梶原に抱きついてくる黒の身体を抱き締め、梶原は笑う。
「つめたい」
梶原が連れてきた外の空気を吸い、黒はそう呟いた。
「寒くなってきたねえ。風邪引かないようにしないと」
ぽんぽん、と黒の背中を叩いてから彼を解放し、梶原は洗面所に向かう。
手を洗い、うがいをする間も、黒は梶原から離れない。
「……何かいいことあった?」
「柊二にお菓子買ってもらった!!」
普段、甘い物が好きな黒は自分の財布からお菓子を買う。
その財布は梶原が与えたものだ。
些細な事でも、明確に2つの人格を分けて存在を認める。
梶原はいつもそれを心がけていた。
「そうなんだ?珍しいね。秋葉さんがお菓子を買ったの?」
「うん!!プレミアムロールケーキ!!かじわらの分も買ってくれた。2人で一緒に食べなさいって」
ぐいぐいと梶原の手をひき、黒はキッチンへと向かう。
冷蔵庫の中からコンビニの袋を引っ張り出し、それをテーブルの上に置いた。
「これ、食べたかったんだけど売り切れてる時が多くて。あ……と」
秋葉が買った4個をテーブルに並べてから、黒は半分を袋に戻す。
「これは、かじわらと柊二のね」
「秋葉さん、自分の分は黒ちゃんにあげるって言わなかった?」
湯を沸かす準備をしながら、梶原が問う。
「言ったけど。それって何か変だなって思って」
黒は自分が納得できない事はしない。
「おいしいって店員さんが言ってたし、おいしいものは柊二にも食べさせてあげたいし」
「そう…。じゃあ、俺の分はもう1個出しといてくれる?」
IHヒーターのスイッチを入れ、梶原が冷蔵庫を開けた黒に言った。
黒は首を傾げたが、梶原の言葉に従う。
梶原のマグカップを自分用のそれをテーブルの上に音を立てないように置いた後、黒は梶原の背中に抱きついた。
「黒ちゃんは何飲む?ココア?」
「うん」
黒が猫ならば、間違いなくゴロゴロと喉が鳴っているに違いない。
きゅう、と梶原の服を掴む手からは、ご機嫌な様子が伝わってくる。
梶原は黒のためにミルクココアを、自分のためには日本茶を淹れた。
「いただきます」
黒の笑顔を見ていると、こちらまで幸せな気分になってしまう。
本当は晩御飯の前にお菓子を食べさせたくないのだが、と梶原は苦笑した。
見た目はロールケーキなのだが、通常のロールケーキの様に生クリームを塗ったスポンジをぐるぐると巻き込んでいるタイプではない。
なるほど、手で持つ事は出来ないからスプーンが必要な訳だと思いながら、梶原は黒が生クリームをスプーンですくうのを見ていた。
「……おいしい!!ケーキ屋さんの生クリームの味がする!!」
一口食べて、黒が目を輝かせる。
「ふうん」
曲がりなりにも梶原は、代々続く和菓子屋の息子だ。
昨今のコンビニスイーツは脅威……というほどでもないか。
梶原は外側のスポンジと生クリームをすくい、口に運ぶ。
確かに美味い。
何より、甘すぎないのがいい、と思った。
「おいしいね?黒ちゃん」
「うん!!」
黒は満面の笑みで頷く。
秋葉もこんな笑顔になれる時があればいいのに、とふと思い。
今は黒と一緒にいる時間なのだと思い直す。
黒とほぼ同時に1個目をたいらげ、梶原は2個目に手を伸ばした。
「これは、黒ちゃんと俺で半分こね」
そう言うと、黒は一瞬きょとんと目を丸くした後で、また嬉しそうに笑う。
後で秋葉の胃がもたれてしまうかも知れないが。
それは許してもらえるだろう。
そう思いながら、梶原はまるいロールケーキにスプーンで切り目を入れた。

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