第4取調室

□cage
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Scene:1


己に問え

頼りなき自我が崩壊する前に

ただひとつ

何を望むかを


『accident(異変)』


お前の意識が途絶えている間だけ、俺は息を吹き返す。
お前が創り出した檻に密やかに囚われ、お前の狂気と不安を糧に。
ひっそりと暗い水の底で、俺は確かに息衝いている。
さあ、どちらだろう。
本当に囚われているのは。
俺か、それとも、お前か。
音も無く、静かに狂え。
やがて俺がお前の全てを飲み込む時まで。



「秋葉さん?何ボケーっとしてるんですか?」
最近の秋葉は、寝起きがひどく悪い。
梶原はベッドの上に座ったまま、呆然とした様子で中空を見つめている秋葉に声をかけた。
「朝ごはん、出来ましたよ?」
梶原は、秋葉の目の前で手のひらを振ってみる。
反応は、無い。
目は開けているものの、秋葉は梶原を見ていないようだった。
最近、秋葉は眠るために時折薬を服用している。
さほど強いものではないと聞いているが、薬は普段梶原が隠し持っていて、秋葉が間違って一度に大量に飲んでしまわないように管理もしている。
出来る限り自然に眠れればいいのだが、それがどうしても出来ない時は秋葉に薬を渡すのだ。
秋葉は何故か、薬の効きが悪い。
かといってこれ以上強い作用のある薬を服用すれば、仕事に差し支える場合がある。
必要最低限の作用しかない薬のはずだった。
いわば、気休め程度の。
それなのに。
薬を使って眠った後、秋葉は決まってこんな状態になる。
「秋葉さん……?」
仕方なく、梶原は秋葉の目の前で両手を打ち鳴らした。
「………え……」
死人が息を吹き返したように、秋葉は息を吸い込み。
梶原と視線を合わせた。
「ほらあ、もう!!いつまでも寝ぼけてないでくださいってば!!」
両手で秋葉の頬を挟み、軽く叩いてみる。
「ごめん………」
冷たい頬と触れてくる冷たい指先に梶原は眉をひそめた。
我に返った秋葉は、梶原の腕に縋って立ち上がろうとする。
「ゆっくり、だよ」
「うん……」
秋葉は頻繁に立ちくらみを起こす。
決まってこの部屋で、だ。
最近、もうひとつ秋葉の身に起きている小さな異変がこれだ。
あまりにそれを繰り返すので、本人に聞けば、別に貧血を起こしているわけでもないし血圧が低すぎるわけでもないという。
これまでのように自己判断ではなく、医者の診断がそうなのだから、間違いはないだろう。
仕事場ではいつも無理をしているのかも知れない。
それは秋葉が自分で自分に課している事で、守りたい一種の矜持のようなもの。
梶原がそれに対して口を挟む事はない。
放っておくべき時とそうでない時があるのだ。
だが今は、間違いなく後者の場合だろう。
梶原は秋葉の腕をゆっくりと引き上げた。
「大丈夫。支えてるから」
くらり、とよろめく秋葉の身体をしばらく抱き締め、固く目を閉じた秋葉の瞼が再び開かれるまで梶原は動かない。
「気分悪い?」
「………平気…」
眉間にシワを寄せていた秋葉が答えた。
ひとつ長い吐息を落とし、秋葉は目を開ける。
「……………」
梶原の肩口にそっと額を付け、秋葉は何事かを呟いた。
「また、あの夢見たの?」
「うん………」
疲れ切った様子で秋葉は梶原にもたれかかり、2度目の溜息をついた。
「何か……恐い……」
秋葉が素直に心情を口にする。
冷え切った秋葉の肩を撫で、梶原は安心させるように笑った。
「あんまり、考えないほうがいいかも」
「うん……」
秋葉は頷いて、梶原の手の中から出て行く。
洗面と着替えを済ませるために寝室を出て行くその後ろ姿を見つめ、梶原は胸を締め付ける不安に唇を噛んだ。
繰り返し、秋葉が嫌な夢を見るのも珍しい事ではない。
ただ、内容が少し恐いのだ。
秋葉はいつも鮮明にその夢の全てを覚えている。



「そこには、もうひとり俺がいるんだ」
朝食の片付けを終え、シンクに向かいながら秋葉はぽつりと呟いた。
皿を洗い終え、マグカップを泡立てたスポンジで磨く。
「ずっと前から声だけが聞こえてたんだ……誰かが俺を呼んでる声…」
秋葉は微かな声に耳を澄ませるように首を傾げる。
それは今までにも幾度となく秋葉が見せた行為だ。
「段々…はっきり聞こえ始めて。それがもう1人の俺の声だって…分かったんだ…」
彼は檻の中に閉じ込められている。
それを別に苦に思ってはいない様子で。
冷たく暗い水の底のような世界に、ただ独り立っている。
「鍵を寄越せって……言うんだ…でも俺はその檻の鍵は持っていない」
頑丈な鉄格子を挟み、自分自身と対峙する。
絶対に交わる事のない、異質な空間。
こちら側とあちら側。
此の世の岸辺と彼の世の岸辺は、似て非なるもの。
「もうちょっとなのに………って……」
スポンジを置き、マグカップを濯いでいた秋葉の言葉が不意に消えた。
シンクにそのマグカップが落ちて、硬質な音を立てる。
「秋葉さん!?」
秋葉の隣に立ち、洗い終えた食器を拭いて片付けていた梶原が声を上げる。
まるで糸が切れた操り人形のように、秋葉の身体が膝から崩れた。
梶原は慌ててその細い身体を抱きとめ、床に座り込んだ。
「秋葉さん!!」
叫ぶようにその名を呼ぶ。
秋葉はゆらりと目を開けた。
そして。
「秋葉、さん……っ」
まだ水に濡れたままの手を梶原の首筋に伸ばす。
「もうちょっとなのに…お前が……」
唇の両端が薄い三日月のように吊り上がる。
秋葉は梶原の上体を引き寄せながら、壮絶な笑みを浮かべた。
「邪魔、なんだよ……」
「………っ!!」
唇に、秋葉の冷たい唇が重ねられる。
次の瞬間。
鋭い痛みに梶原は身を引いた。
つ、と溢れる鮮血が、それを拭った手の甲に着いた。
秋葉は身を起こし、梶原に右手を伸ばす。
そして、動けない梶原の唇に指先で触れ。
指先に付着した血液を、舌で舐める。
狂気を孕んだ黒い瞳が、嗤った。



賭けをしよう、とあなたは言った。
救うのが先か、壊すのが先か。
命を懸けた、賭けをしよう、と。
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