第4取調室

□黒ちゃんとの日々
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あなたが含有する

全てのものを

愛していると言ったら

あなたは
信じてくれる?

それとも
笑うのかな?



「ああああ!!もう!待って、黒ちゃん!!」
梶原は、大判のバスタオルを広げ、秋葉を追いかける。
いや、秋葉ではなく。
彼、なのだが。
午後になり、急に降り始めた雨に濡れて彼が帰宅したのは金曜日の16時の事。
ぽたぽたと廊下に落ちる水滴はそのままに、彼は裸足で部屋まで駆け込んだ。
それを何とか捕まえて床に押さえつけ、バスタオルで包む。
いつだったか、誰かにお前は刑事よりも保育士の方が絶対似合っていると言われた事がある。
「ヤダヤダ!!離せ!!」
「濡れたままじゃ風邪引くでしょ?おとなしくしなさい!!」
成程。
こんな感覚なのだろうか、保育士とは。
「もー、廊下も床もびしょ濡れじゃないか!!」
保育士というより、これでは彼の親か。
顔は秋葉そのものなのだが、行動は違う。
影平や薬師神には見抜かれているとはいえ、誰がこんな秋葉を想像できるだろう。
知ればさぞかし驚く事だろう。
無論、誰にもこんな秋葉の姿を見せるつもりはないが。
彼もそれは心得ていて、完璧に職場では秋葉に化けている。
完璧すぎて恐い程だ。
その反動なのか、ここで梶原と過ごす時間、彼は目一杯子供返りをする。
返る、というか。
孵る、というか。
そう、ちょうど孵化したばかりの雛が、外界の様子が物珍しくて…という比喩が妥当かも知れない。
「黒ちゃん。君は幾つなの!!」
梶原の腕の中でじたばたと暴れる彼に、そう投げやりに問いかけてみる。
「…………30歳?」
「嘘吐くな!」
ガシガシと乱暴にその黒髪を拭き、そういえば、髪だけではなく全身が濡れそぼっているのだと思い当たる。
黒いパーカーは水を吸って重たい。同じようにジーンズもそう。
「これ以上被害を広げないで。ここで服脱いで!」
「……ここでは…ヤダ」
「ワガママ言わない!!」
上目遣いに睨んでくる彼に、ぴしゃりと言い放つ。
ここは秋葉の部屋で、という事は彼の部屋でもあるのだが。
彼に対する時は、どちらに主導権があるのかを教え込まなければならない。
どうやら彼は、秋葉の命を盾に梶原を脅す事は止めたらしい。
心なしか、梶原との生活を楽しんでいるようにも思える。
その姿を見る事は、やはり梶原にとっては少し複雑ではあるのだけれど。
「何、その目は」
「………ヘンタイっ!!」
バスタオルを引ったくり、彼は梶原を押しのけて立ち上がると風呂場へ走っていく。
ばたん、と閉じられた風呂場のドア。
その音を聞き、更に水浸しになった廊下を見つめ。
梶原は脱力してしまう。
「そのヘンタイって、誰に習ったのかなあ……」
もしかして、秋葉も深層心理ではそう思っているのだろうか。
そうだとしたら、ちょっとショックは大きいのだが。
ぼんやりとその水滴を見つめていると、風呂場から彼が顔だけを廊下に覗かせる。
「……風邪ひくなって言うのは、さ」
「うん?」
短い廊下を挟んで向かい合う形になった梶原に、彼はひどく真摯な眼差しを向ける。
「俺のため?それとも……」
彼らしくない、一瞬の逡巡。
「あいつのため?お前はあいつの為に、この身体が、大切なの?」
最近彼が時折見せ始めた、この心細さはなんだろう。
存在の不確かさから来るものだろうか。
まっすぐに梶原を捉えている黒い瞳は。
不安を含みながら梶原の答えを待っている。
「俺は黒ちゃんも大切なの!!早く風呂に入らないと、一緒に入るよ!?」
梶原がそう言いながら勢いをつけて立ち上がる素振りを見せると、彼は慌てて顔を引っ込めた。
そして、もう一度梶原の行動を確かめるように顔を覗かせる。
「なあに?」
苦笑して問えば、彼は顔をしかめた。
「これ、やる」
握り締めたままの右手を梶原に向かって差し出す。
ここまで取りに来いという事だろうか。
梶原は立ち上がると、それを拾いに濡れた廊下を歩いた。
見れば、まだ彼は服を脱いでもいない。
風呂場の脱衣所も水浸しだ。
彼は、梶原の目の前で、手のひらを返してそっと広げてみせる。
「…これ……こぶしの花びら?そこの公園の?」
それは白色の、咲いたばかりのこぶしの花。
そのひとひらの柔らかな花びら。
滑らかな手触りのそれを、梶原は受け取る。
「雨で、落ちてた」
「ありがとう」
彼が少しずつ、人間らしさを手に入れる。
その過程を見る事は複雑さを通り越して、何故か嬉しい。
素直に礼を言い、梶原が彼の頭に手を伸ばした時。
彼は僅かに身を引いた。
まるで人に慣れていない野良の子猫のよう。
彼はまだ雛であり、子猫なのだ。
「……触んな…ヘンタイ」
「そっかあ!!仕方ないなあ!?黒ちゃんもヘンタイにしてあげようか!!」
梶原の声に今度こそ、彼は面白い程に慌て、大きな音を立てて扉を閉める。
「愛される事に不慣れなのは、一緒、なんだよね……」
秋葉も彼も。
与えられる愛情を受け取る事には不慣れで、ひどく不器用だ。
自分の周りに壁を張り巡らせる方法は、それぞれ少し違うけれど。
彼も、間違いなく秋葉の一部分で。
いずれ、それが反発する事なく統合されていくまで、時間はどれ程かかるのかは分からないが。
「俺はちゃんと、最後まで側にいますよ……秋葉さん」
梶原は呟く。
そして彼が水浸しにした床を拭くべく、納戸を開ける。
「………俺、ほんと、転職してみてもいいかも。子供好きだし?」
床を雑巾で拭きながら、もうひとつの適職を見つけた気がした梶原だった。




cage
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