第4取調室

□黒ちゃんとの日々・2
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『黒ちゃんとの日々・2』


「黒ちゃん…お菓子ばっかり食べてる割に…」
ベッドの上に座り、梶原は彼の手を取って顔をしかめる。
「なあに?」
梶原の前に両膝で立つ彼は、首を傾げ。
梶原の両手に手を掛け、その額に自分の額をくっつけた。
「体重増えないねえ……」
むしろ、また痩せてしまったような気もする。
梶原は彼の細い身体を抱き寄せた。
彼は…秋葉が持つもうひとつの人格で、梶原は彼を『黒』と呼んでいるのだが。
一度は分裂した秋葉の主人格に自ら取り込まれていったはずの彼は、時折姿を現す。
「柊二が出てもいいって言うんだもん」
秋葉が彼を閉じ込めていた檻は、もう存在しないらしい。
彼は、秋葉の事を柊二と呼び始めた。
「……遊びに来ちゃ、駄目?」
彼は間近に梶原の瞳を覗き込む。
漆黒の瞳は、秋葉と同じものなのに。
どうしてこんなにも素直に見えるのか。
くすくすと笑いながら、彼は梶原の耳を唇で噛む。
甘えるように両手で梶原に抱きつき、襟足に鼻先を埋め、背中に爪を立てる。
「痛いよ、黒ちゃん」
彼は自分が感じる痛みにひどく鈍い。
それは自分が他者へ与える痛みの加減が分からないという事に通じる。
「ごめんなさい」
素直に謝り、彼は梶原の背を撫でた。
自由気ままに現れる彼は、以前よりも少し大人になったようにも見える。
逆に子供っぽさにも磨きがかかったようにも見え。
秋葉が含有している人格は、つくづく複雑なのだと梶原は思う。
元から持っている気質なのか、それとも苦痛を味わいすぎた結果そうなってしまったのか。
それは梶原にはよく分からないのだが。
まるで子猫がじゃれるように、彼は梶原に触れて甘える。
秋葉が普段自分の中に押さえ込んでいる欲求を、一気に満たすように。
特に会話らしい会話は無い。
ただ、梶原の体温が心地よく感じられるのだろう。
彼は、小さく欠伸をした。
「眠いの……?」
「ん〜ん……」
首を横に振るが、彼の手は温かい。
やはりそれは子供のようで、梶原は微笑む。
「梶原に甘えると、柊二が………妬くみたい」
梶原の身体に抱きついたまま、彼はうとうとと眠り始める。
「……秋葉さんが?」
梶原は呟くと、彼の身体を支えてベッドに寝かせた。
薄く目を開けた彼は、仰向けから梶原の方へ横向きに体制を変える。
梶原がゆっくりと黒い髪を撫でてやると、嬉しそうに笑い、目を閉じる。
やがて呼吸が深くなり、彼は眠りに落ちていく。
それを見届けてからベッドを離れようとした梶原のシャツの裾が、くい、と引かれた。
「いつの間に……」
彼の左手は、しっかりと梶原のシャツを掴んでいる。
梶原は苦笑しながら、そっとその指を一本ずつ外していく。
「やっぱり、黒ちゃんも秋葉さんなんだねえ……?」
もう一度彼の寝顔を見つめ、梶原は呟いた。



独りではないという事。
存在を認識してもらえるという事。
肯定してもらえるという事。
その全てが彼を安堵させる。


「………?」
短い午睡から目覚め、彼は数回瞬きを繰り返す。
少し透かせた窓から、心地よい風が入ってくる。
彼は、眠る前に何をしていたのか、ゆっくりと思い出そうとした。
目覚める前に自分の意志とは関係なく、主人格と交代してしまう事も多く。
記憶がすぐに繋がらない事もあるからだ。
ベッドの上で身体を丸め、まだ残っている眠気に引きずられるように、彼は再び目を閉じようとする。
そして、気付いた。
「かじわら………?」
小さく、その名を呼んでみる。
明るい寝室の中には、彼の姿はない。
「かじ…わら…」
音もなく、人の気配がしない部屋。
あの孤独な檻の中と同じ。
彼は急に不安に襲われ、身体を起こす。
床に両足を降ろし、立ち上がった。
隣室に続く、閉じられた扉。
それに手を伸ばしかけて、ためらった。
ここを開けて、梶原がいなかったらどうしよう。
「ねえ、どこ……?」
小さな声に、返る言葉はなく。
彼は一層不安に駆られたが、このままこの寝室に居るのも恐い。
彼はそっと扉を開けた。
「かじわら………」
ベージュのカーペットの上。
クッションを背中に当て、壁にもたれて梶原は雑誌を読んでいた。
「……あれ?黒ちゃん、もう起きたんだ?」
にこり、と笑う梶原の表情に、彼は思わず目を逸らしてしまう。
一生懸命梶原の姿を探してしまった自分が、恥ずかしくなったのだ。
「黒ちゃん?」
足音も荒く、彼はベッドへと歩み寄り、今まで身体に掛けられていた毛布を掴む。
それをずるずると引きずり、彼は梶原の側へと近寄った。
「どうしたの?」
梶原が投げ出している足に沿うように、ぴたりと寄り添い。
彼は自分の身体と梶原の両足に毛布をかけて丸くなる。
今度は離されないように、梶原の右足に手をかけて。
「黒ちゃん……」
梶原は苦笑して雑誌を床の上に置いた。
やんわりと名前を呼び、目を閉じた彼の背を右手で撫でる。
「大丈夫。ここに居るよ…?」
返事の代わりに。
すう、と穏やかな彼の寝息が聞こえた。


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