第4取調室

□熱
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真夜中。
黒が高い熱を出した。
「かじわら…熱い…」
熱い、と言いながらも、身体は微かに震えている。
梶原は起き上がって明かりをつけ、冷凍庫から熱冷まし用の冷却剤を取り出してタオルでそれを包む。
「黒ちゃん…ちょっと頭上げて」
腕を彼の首の後ろに差し込み、そっと持ち上げて頭の下に冷却剤を置く。
ついでに前髪をかき上げて、額にも冷却シートを貼り付けてやる。
「熱い……よ……、かじわら……」
秋葉ではなく、彼が熱を出すのは珍しい。
珍しいというよりも、初めての様な気もする。
梶原は眉をひそめ、目を閉じてうわ言を呟く彼の頭を撫でた。
「白ちゃんは……?」
通常であれば、こんな時は秋葉が出てくるはずだ。
黒は痛みには強い、強いというよりも鈍いが、こういう不調には弱い。
秋葉はどうしたのだろう。
それを不審に思い、朦朧としている彼に問う。
彼は、薄っすらと目を開けて微笑んだ。
「柊二は……いいの…。今、あいつすごく疲れてるから…俺の方がいいの……」
確かに。
秋葉はここ数日、休みもなく働いていた。
これっきりだと4月に言われた少年課の補導にも、昨夜はつき合わされていたようだ。
秋葉は意地でも仕事が出来なくなるような体調の崩し方はしない。
その代わり、翌日は休みという時に、大きく反動が出るのだ。
「黒ちゃんが代わってあげなくてもいいんだよ?」
例えば彼が、夜更かしをしすぎて風邪をひいた、と言った類の理由ならば、彼が責任を取るのもいい。
だが、この熱は秋葉が無理をしすぎた事に起因しているのに。
むしろ、不調に慣れている秋葉の方が、治りが早いかもしれないのだが。
そんな事を梶原が思っても、無論、どうにも出来ない。
彼は梶原を見上げ、にこりと嬉しそうに笑った。
「いいんだってば……俺が、そうしたの。本当に、疲れてるんだ、柊二……。それに、あとでお小遣いたくさんもらう約束してるし…」
悪戯っぽく呟く彼の頭を、苦笑しながら梶原は撫でた。
お小遣い云々は、彼の嘘だろう。
「白ちゃんも、黒ちゃんに甘えてるんだね…」
熱を持った頬を手のひらで冷やしてやり、梶原は呟いた。
「柊二が……?俺に……?」
きょとん、と彼が目を丸くする。
「そうだよ」
梶原の手のひらに頬を預け、彼は目を閉じた。
「……嬉しい。じゃあ、俺、まだここに居てもいいんだね……」
深い呼吸は安堵の吐息。
主人格である秋葉に、必要とされていなければ、彼はここに存在する価値がないと自分で思っている。
いくら梶原に全身で甘えてこようと、常に何処かにある、存在への不安。
秋葉に肯定され、梶原に肯定されて、彼は生きる場所を確率する。
眠り始める彼の、僅かに赤い顔を見つめ。
いつの間にか、傍らに座る梶原のパジャマの裾を掴んでいる彼の手を、そっと握った。



鳥の声で目を覚ます。
何か嫌な夢を見ていた様な気もする。
彼は目尻から零れた涙を、右手の指先で拭った。
カーテン越しに入ってくる光に、もう朝が来ているのだと思う。
頭の下に置かれた冷却剤は、取り替えられたばかりなのか、冷たくて心地いい。
一晩中、梶原の手が自分の手を握っていてくれた感触。
しかし、梶原の姿はこの部屋にはない。
いつもそうだ。
目覚めた時には、独りだ。
泣き出しそうに心細い感情を、ぐっと飲み込み。
彼は耳を澄ませた。
壁に掛けている時計の秒針の音。
そして微かに、キッチンから物音がする。
起き上がる気力は無かったので、その音の中に梶原の気配を感じ取り、彼は目を閉じる。
よかった。
独りではなかった。
そう自分に言い聞かせて。
安堵した途端に、聴覚が鋭くなる。
梶原は何をしているのだろう。
氷を砕く様な音と、少しうるさい機械音。
それはすぐに止み、梶原が部屋の引き戸を開ける。
「黒ちゃん……?」
名前を呼ばれると、安心する。
きっともうひとりの自分も、同じだと彼は思う。
彼は梶原の姿を視界に捉えると、やはり嬉しそうに笑った。
「桃の缶詰と、バナナとりんごのジュース。飲める?」
スクエアテーブルにトレイを置き、梶原は彼を抱き起こす。
「………何か欲しいものは?って聞いたら、これが飲みたいって言ったの、覚えてない?」
「覚えてない……」
「そう……でも黒ちゃんの希望通り、上手に作れたかどうかは分からないよ?」
右手で彼の背を支え、左手でグラスを取り。
梶原は彼の口元にそれを持っていく。
彼は、こくり、と一口それを飲む。
冷たい液体が身体の中を流れていった。
ひどく喉が渇いていた事を、それで自覚する。
梶原の手に自分の手を添え、彼は少しずつそれを飲んだ。
冷たくて、甘い。
「おいしい……」
時間をかけて全部を飲み干し、彼はそう言った。
梶原はトレイの上にグラスを戻し、彼を腕の中に抱く。
くたりと身体を梶原の胸に預け、彼は少しの間、目を閉じた。
「眠って次に起きたら、元気になってるよ。きっと」
「うん………」
梶原の言葉に、彼は頷く。
それは彼にとって、魔法の様な言葉。
37度5分。
後少しで平熱。
元気になったら、大好きな梶原と何をして遊ぼうか。
そんな事を思いながら、彼は再びうとうとと眠る。

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