第4取調室

□ごまちゃん
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秋葉がシャワーを浴びて出てくると、梶原がいなくなっていた。
午前10時。
夜勤明けだ。
書き置きもないので、何か用事が出来てちょっと外に出たのだろう。
先程帰宅した時には気づかなかったのだが、見慣れないものが寝室の床の上にある。
秋葉はその物体にそっと近付き、しゃがみこむと右手を伸ばした。
軽く握り締めた拳で、その物体をつついてみる。
「……梶…」
それに向かって、梶原、と呼ぼうとして。
あまりにも自分が情けないのでやめた。
それはゴマフアザラシのぬいぐるみ。
ちょっとでかい。
もちろん、これは梶原ではない。
「…何かな、これは」
呟いても返る言葉はなく。
「黒の、かな…」
推理までしなくても、極簡単な推測。
そして確信。
昨日出勤する途中、まるで何かの嫌がらせの様に、彼と入れ替わった。
まだ仕事が始まる前で良かったのだが。
以前の様に、彼が『起きて』いる間、何も分からない訳ではない。
断片的にではあるが、秋葉にも彼が見ている物が見えている。
だが、このぬいぐるみはお初にお目にかかる物体だ。
秋葉は手触りの良いぬいぐるみを撫でてみる。
部屋の中に独りという心細さも手伝って、それを両手で抱き上げ、きゅう、と抱き締めてみた。
(あ…これ…好き…かも…)
眠気も手伝い。
秋葉はそれを抱えたままベッドに転がる。
しばし、転がりながら、一番落ち着く場所を探した。
ぬいぐるみを抱き締め、身体を丸める。
(黒は、いいなあ……)
梶原に素直に甘えられて。
うらやましい、と思う。
自分のもうひとつの人格だから、自分にできない事をするのかも知れないが。
(でもあんまり梶原に触らないで欲しい…)
秋葉は複雑な思いを、胸の内で言葉にする。
黒には、聞こえない程度に。
(梶原は、俺の……)
俺の、何だろう。
彼はモノではないのに。
そんな事を思いながら、秋葉は小さく欠伸をした。
眠い。
今更思い出せば、昨夜は一睡も出来なかった。
そんな事を考えながら、秋葉は目を閉じる。
すとん、と意識が落ちるのに、ほんの数秒もかからなかった。



「ただいま……」
梶原が鍵を開けてドアをそっと開ける。
秋葉がシャワーを浴びている内に用事を済ませれば良かったのだが。
というより、コンビニでできる振込みくらい、帰り道に済ませておけば良かった。
「秋葉さん……」
今朝、護国寺の駅で、黒は消えた。
何かイヤな予感でもしたのかと思っていたが、実はそうだったようだ。
影平に仕事を山の様に押し付けられ、秋葉は昨夜一睡もしていない。
いや、押し付けられたというと語弊がある。
影平が溜め込んだ書類整理を、秋葉が手伝ったという形になるだろうか。
最近大きな事件が無いにも関わらず、影平は相変わらず追い詰められないと仕事を片付けない。
いずれ、秋葉の盛大な復讐が始まるに違いない、と梶原は確信している。
秋葉を探して寝室に入る。
そこで、梶原は相好を崩した。
「………うっわ…壮絶にかわいいんですけど…」
ベッドの上に、ごまちゃんのぬいぐるみを抱き締めて眠っている秋葉の姿。
「あーきばさん」
黒とはまた違う表情だ。
梶原は指先で、そっと秋葉の頬をつつく。
「ん………」
秋葉は丸めていた身体を更に丸め、ぬいぐるみに顔を埋める。
(うきゅ〜……)
携帯で、写真を撮っておきたい衝動に駆られたが。
いつか姉や秋葉に見られたら危険だと思いなおし、梶原は秋葉を見つめる。
自分の中にだけ、残しておこう。
そう思った。


でもでも、後で、写真撮っちゃおうかな。
それは梶原だけの秘密。
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