第4取調室

□流砂
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多分、夢を見ていたのだろうと思う。
梶原は、目の前にいる彼を見つめながら、そう思った。
まだ、夢を見ているのだろうと。


「一緒に来て…柊二の、心の中…。俺が住んでる所…」
彼が差し出した手を、梶原はためらいながらも握りしめた。
秋葉はいつもと変わらない様子だった。
時折現れるもうひとつの人格である、彼も。
「大切なもの、無くしちゃったみたいなの。探しに行くから、お願い、一緒に来て」
「………大切なもの?」
梶原の問いに、彼はあどけなく頷いた。
何故、彼が唐突にそんな事を言い出したのか。
きっかけが梶原には分からなかった。
「かじわらなら、きっと、柊二の心の中に入れると思う」
「黒ちゃん…」
彼は、まるで労るかのように、左腕で梶原の身体を抱いた。
「…ちょっと心細いから…抱っこしてて」
困ったように呟いて笑う彼の背を、梶原はそっと撫でる。
急激に訪れる眠気。
まるで深い闇に落ちるような感覚。
「離さないでね」
やはり、自分は夢を見ているのだ。
思わず目を閉じた梶原に、彼の声が聞こえた。



そこは。
暗く、静寂に満ちた空間。
零。
死と生の狭間。
現実にしては曖昧すぎて、夢にしては質感がありすぎて。
梶原は足を止めて周りを見回した。
音のない世界。
以前ここに来た事があるような気もする。
ふと、右手の指先に触れるものがあった。
「………」
驚いてそちらを見ると、随分と幼い、まだ10代に見える彼が梶原の手を引いていた。
「黒、ちゃん…?」
ああ、ここは。
秋葉の心の奥底だ。
だから彼の姿が、実際の精神と違うことのない姿をしているのだと…梶原は何故かそれをすんなりと受け入れる。
「手を離したらここで迷うから…気をつけて」
澄んだ声で彼が言う。
彼が居なければ境界がよく分からない。
絶望。
猜疑心。
悲しみ。
孤独。
肌に痛い程に触れる、秋葉の想い。
それはまるで砂の粒の様に。
あるいはガラスの破片の様に。
梶原に刺さる。
「あぶないよ」
「黒ちゃん…」
ぐい、と彼が梶原の手を引く。
先程まで梶原が居た場所が、まるで流砂のようにさらさらと崩れていった。
「それはね、ほんとの柊二の気持ちじゃないの…違うの…」
彼はそう言い、再び歩き始める。
「黒ちゃん。何を探してるの?」
当てもなく。
少なくとも梶原には彼が当ても無く、この世界をさ迷っているように思える。
「わかんない……」
彼は歩きながら呟いた。
少しずつ表情が曇っていく。
それを見ながら、梶原は足を止めた。
「………?」
不意に梶原が止まってしまったので、彼も必然的に歩みを止める事になる。
「黒ちゃん」
不安げに見上げてくる彼を、梶原はやんわりといつもの様に呼んだ。
「どうしたの?」
言葉に出していってごらん、と梶原は身を屈め、彼と目線を合わせる。
「ここは白ちゃんの心の中だけど、黒ちゃんの居場所でもあるんでしょう?」
「…………」
彼の指先が、きゅう、と梶原の手を握り締めた。
「何か不安な事があった?白ちゃんの事?」
梶原は彼を両腕で引き寄せる。
少年の姿をした彼は、大人しく梶原の腕に収まった。
秋葉の身体ならば、さほど身長の差を感じないのだが。
今の彼は梶原の胸のあたりに頭がくる。
「かじわら……あのね……?」
「うん」
梶原は彼の言葉を待つ。
決して急かす事はない。
さらさらと、また何処かで崩落の音が聞こえる。
それはいたるところで起きている様で、暗闇の中、清らかに砂が砕け落ちる音が響く。
「ひとは、ひとりで、死ぬの?」
「…………」
彼は自分が恐ろしい言葉を口にしてしまったというように、梶原の身体に身を寄せる。
「さいごは、ひとり、なの?」
気付けば、流砂は範囲を広げていて。
梶原は彼の身体をしっかりと抱き締めた。
ここは、秋葉の心の中であり、彼の心の中。
冷たくもなく、温かくもなく。
脆く静かに形を失い崩れていく。
「そうだね……そうかも知れない」
梶原は、ふと微笑む。
それを彼は黙って見上げていた。
「最期は独りなのかも知れないね……黒ちゃんも、白ちゃんも、俺も」
「…………やだ……かじわらと離れるの、やだ…」
しがみつくように梶原に縋り、彼は両目をきつく閉じる。
さらり。
梶原の踵に触れていた砂が消えた。
「黒ちゃん……」
梶原は、ひどく落ち着いた声で彼を呼んだ。
何処へとも分からず、底のない暗闇に2人で墜ちていく。
悲鳴を上げた彼を、離さないように。
梶原はそれだけを思い、また目を閉じた。



就寝中に落下する夢を見る時は、血圧が急激に低下している時、だっただろうか。
どこか冷静にそう思いながら、梶原は衝撃で目を覚ました。
「…………黒ちゃん…」
暑い昼下がりだというのに、彼は梶原の身体にしがみついて眠っている。
仰向けになっている梶原の胸に頭を乗せ、梶原の鼓動が一番大きく聞こえる位置に肩耳をつけて眠っているのだ。
梶原はその様子に笑みを零し、汗ばんだ彼の髪を軽く梳いてやる。
(何か、変な夢、見たな……)
天井を見つめ、梶原はさっきまで見ていた夢を反芻する。
(何だったっけ……)
梶原はあまり、見た夢を覚えているタイプではない。
「ん、ん………」
むずがる様に、彼が声を上げた。
(………思い出した)
彼の夢を見ていたのだ。
彼に誘われて、秋葉の心の中に足を踏み入れた。
「夢、だったのかな……?」
小さく呟く。
その声に、彼の寝息が重なった。
「ねえ、黒ちゃん。人は、必ず死ぬんだよ…人だけじゃないね、命には限りがあるから」
ぽん、ぽん、とあやすように彼の肩をそっと叩き、梶原は言う。
「だから、生きる事が大切だと思うんだよ……ね、そうでしょう?秋葉さん…」
静かに崩壊していく秋葉の心を見た。
あれは現実だろうか、それともただの夢だろうか。
出来れば後者であってほしい。
そう願いながら、梶原はいまだに去らない眠気に逆らわずに目を閉じる。
「全く…。…秋葉さんも黒ちゃんに難しい宿題出しちゃだめだよ……」
まだ、人の命について無知な彼に。
「いくら夏休みだからって。意地悪だなあ……秋葉さん……」
触れた彼の頬に、残る涙の跡。
後で起きたら、存分に遊んでやろう。
いつか訪れる永久の別れを思うより、そちらの方がずっといい。
そしていつか。
あの暗くて何もない心の奥底に、小さな灯りを灯してやりたい。
「…………」
通り雨が来るのだろう。
カーテン越しの空が翳る。
途端にひぐらしが鳴き始めた。
その声を聞きながら梶原は、安らかな眠りに落ちていく。

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