捜査共助課3(短編小説)

□賭け事
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棄てられるのと

棄てるのは

どちらがいいだろう



「お。梶原梶原」
最近何処も彼処も禁煙という場所が増え、署内でも愛煙家の肩身は狭くなってきた。
以前は各階にあった喫煙スペースは、いまや刑事課のある階に存在するのみだ。
従って、階下の署員も階上にいる署員も、愛煙家は暇を見つけてはこの場所にたむろする。
若干白く霞んで見える廊下を、足早に歩く梶原は、煙の向こうから呼び止められた。
申し訳程度に置かれた空気清浄機など、何の役にも立っていない。
今度、もしも署長が変わったら署内禁煙を直訴してみようかとも思う。
「はい!……あれ?佐藤さん?シゲさんも」
そこに居たのは、少年課の佐藤と、鑑識課の重宮だった。
煙草が苦手な梶原は、この場所であまり長居をしたくない。
だが、声をかけてきたのがこの2人と知り、しばらくは解放される事はないだろうと覚悟を決める。
「……何の御用でしょう、か」
佐藤は梶原の問いに、指先で頬を叩いて口から輪の形にした煙を吐き出す。
器用な事をするものだ、と梶原は思いながら、両手に持っていたファイルを抱えなおした。
そういえば、このメンバーに影平が加われば、ナントカ愛好会になるのではなかったか。
ヌードグッズ愛好会だ、と梶原は思い出す。
もしや勧誘だろうか、とも思い、思わずぞっとする。
確か秋葉が独り、地道に愛好会壊滅運動を実施中だ。
「お前さあ、これに一口乗らねえ?」
ぱらり、と佐藤が梶原の目の前にA4の紙を差し出す。
「何、ですか?」
重いファイルに腕がしびれてきたので、一度テーブルの上にそれを置き、梶原はその紙を受け取る。
何かの表のようだった。
数十人の署員の名前が書かれている。
年若い巡査から、年配の警部まで、その幅は広い。
そして、名前の横に『○』と『×』のどちらかが書かれている。
よく見れば、若い署員は○印、ある程度の年齢に達している署員は×印を選んでいるようだ。
何だかこれはロクなものでは無いという気配を敏感に察知し、梶原は佐藤を見た。
「あの。俺、イヤです」
「まだ何も言ってねえ!!」
佐藤が吹き出す。
重宮が、梶原の肩に腕を回し、強引にその場に座らせた。
「なあなあ、最近どうなのよ。影平と秋葉は」
「どうって……別に、何も」
どうやらこの紙は、秋葉と影平に関係しているらしい。
梶原は重宮を見上げた。
重宮が、10センチ程身長差がある梶原を見下ろす機会は滅多にない。
何だか嬉しそうな笑みを浮かべ、梶原の顔を見ている。
「うまくやってる?」
佐藤は新しい煙草に火をつけながら問う。
「多分………」
実際のところはよく分からないが、恐らく秋葉と影平は噛みあわないながらもそれなりにやっているはずだ。
そうでなければ、困る。
「分かったぁ!!!これ、何かの賭け事ですよね?」
梶原はテーブルの上に置かれた紙を引っ手繰る。
誰が発起人かは知らないが。
秋葉と影平に関する賭けが署内で行われているのだ。
梶原はくしゃくしゃとその紙を丸め、側にあったゴミ箱に投げ込んだ。
「もう!!馬鹿な事ばっかり!!秋葉さんに言いつけてやる!!」
「うわわわわわ、梶原梶原!!」
勢いよく立ち上がった梶原のスーツの裾を、佐藤が引いた。
「離して下さい!!」
「…うちの若いの捕まえて。……何やってるんですか?……暇なの?」
そこへタイミングよく、薬師神が通りかかる。
梶原はファイルを抱え、薬師神のほうへ移動した。
「薬師神さん、聞いてくださいよ!!」
梶原の訴えに、薬師神は面白そうに首を傾げた。
「ヤクも、賭ける?」
佐藤がもう一枚、周到に用意していたと思われるコピーを取り出した。
「何ですか、これ」
「秋葉と影平がいつまでもつかって賭け」
重宮が、そう答えてから大きな口を開けて馬鹿笑いをする。
「はあ………?」
薬師神は、梶原と共にその紙を覗き込んだ。
「今のところ、五分五分だ」
要は、秋葉が影平の不真面目さに何処まで耐えられるか。
という内容なのだが。
年配の署員は、影平が秋葉に耐えられなくなる方にかなり票を入れている。
「暇なんですねえ……」
苦笑し、薬師神もその紙を両手で丸める。
まあ、いくらそうした所で、佐藤は何枚もコピーを用意しているのだろうが。
「ほら、いくぞ梶原」
馬鹿はほっといて、という言葉をうまく隠し、薬師神はその場から梶原を救い出す。
「お前も。あんまり真面目に相手するんじゃないよ」
刑事課へと歩きながら、薬師神は梶原に言う。
ムカムカと怒りにも似た何かが渦巻き始めていた心が、その一言で浄化される気がする。
安い空気清浄機よりも、薬師神がひとり居るだけで随分空気が綺麗になる気がして、梶原は笑った。
「秋葉さん……うまくやってるんです、かね?」
梶原は影平の内面をまだよく知らない。
秋葉の事なら、以前のパートナーという事もあり、大まかに理解も出来るのだが。
とりあえず影平は、秋葉に比べれば数百倍はいい加減な人、という位置づけだろうか。
「影平は、どんな事があっても、多分秋葉を見捨てる事はないけど」
薬師神が呟く。
「もしかしたら、その逆はあるかも知れないね」
穏やかな声の奥に、薬師神は少し恐ろしい言葉を含ませた。
「秋葉は……どちらかと言えば……なんていうか。ハンドルで言うと遊びの部分が少ないというか」
車のハンドルには遊びと呼ばれる部分がある。
ハンドルを動かしても、動力に伝わらない部分。
秋葉はそれが少ないのだと、薬師神は言う。
「真面目すぎて、敏感すぎて。影平には少し荷が重いかも知れないね」
「俺は逆かなって思ってました」
影平がいい加減すぎて、秋葉には耐えられないのではないだろうかと。
「それで票が割れてるんだな、きっと」
梶原は。若手とベテランで、真っ二つに2人の評価が分かれている、先程の表を思い出す。
「秋葉さんだって。影平さんを見捨てたりしないですよ」
もしかしたら、陣野と組むようになった梶原自身もそう言われているのかもしれない。
秋葉に見捨てられたのだと。
だが、本当はそうではないという事を、梶原は誰よりも解っている。
「そうだといいな。影平も、あいつから得る物はたくさんあるだろうし」
両手が塞がっている梶原のために、刑事課の扉を開けながら薬師神は笑った。
「本当は、影平もいい奴なんだよ?秋葉にはちょっと伝わりにくいんだろうけど」
礼を言って薬師神より先にフロアに入りながら、梶原も笑った。
「秋葉さんも、本当はいい人なんですよ?誤解されやすいけど」
「誤解されやすい奴と伝わりにくい奴って、救いようがない気もしてきたな……」
「本当ですね」
くすり、と顔を見合わせて2人は笑う。
当の本人たちは、現場に出ていて留守だった。
賭けの事が耳に入らなければいいが。
そう思いながら、梶原は机の上にファイルを置いた。




よく晴れているが、風が強い。
影平に言われて入った、コンビニの駐車場に置いてある旗が風で音を立てている。
コーヒーが欲しいなら、自販機でもいいのに。
と秋葉がドアミラーで影平の行動を確認する。
「……はぁ…」
思わず大きな溜息をこぼしてしまった。
影平は雑誌コーナーで足を止めている。
店の中に行って引きずり出してやりたい。
だが、こんな場所で覆面車を無人にする訳にもいかず。
秋葉はもう一度、今度は自分が無心になるための溜息をついた。
「おっまたせ〜」
そんな秋葉の苛立ちは見ない振りをして、影平が助手席のドアを開ける。
「ホイ。やるわ」
そう言って、ガサガサと音を立ててペットボトルのほうじ茶を秋葉の膝に放り投げた。
「………」
影平から受ける百数十円の恩は、後々数倍になる場合がある。
秋葉は礼を言って、ポケットから小銭入れを出した。
「たまにはいいよ、これくらい」
「……それが恐いんですってば」
借り、ならばまだいい。
影平に貸しを作るのは恐い。
もしも秋葉が彼に借りを返せと迫った所で、影平は痛くも痒くもないはずだ。
だが逆は違う。
それこそ蛇のようにしつこく、返せ返せと追ってくるに違いない。
影平の手に小銭を押し付け、秋葉はもう一度丁寧に礼を言う。
「ち……っ引っ掛からねえな……」
残念そうに舌打ちし、影平は冷たい缶コーヒーのプルタブを開けた。
秋葉はペットボトルをドリンクホルダーに入れ、エンジンをかける。
「そんな姑息な手を使わなくても。聞きますよ、影平さんの頼みなら。………金と女の相談には乗れませんけど」
「ちげえよ。相手を陥れていたぶって、言う事聞かすのが楽しいんじゃん」
「…………」
こんな人間に治安維持の一端を担わせても、本当に大丈夫なのだろうか。
秋葉は影平と組み始めてから、幾度となく心に浮かんだ疑問をもう一度反芻する。
およそ、警察官の発言とは思えない。
秋葉は溜息をつき、ギアをドライブに入れる。
ゆっくりと駐車場を出ながら、秋葉は先刻影平に渡されたペットボトルを見た。
それはホット専用の小さなボトル。
影平は。
秋葉が、コーヒーが苦手で、更に冷たい飲み物をあまり口にしないという事を覚えているのだ。
「あの……ありがとうございます、影平さん」
「………はあ!?いきなり何?」
変な奴、と呟いて。
影平は窓の外へ視線を投げた。
「左、いいよ」
歩道には何もいない事を秋葉に伝え、影平はコーヒーを一口飲んだ。
時折影平が見せる、細やかな気遣い。
それを秋葉は、素直にありがたいと思う。
車道に出て、徐々に流れに乗り始める頃。
影平は口を開いた。
「お前、知ってるか」
「本題を言ってもらわないと分からないんですけど」
影平の問いに、こんな言葉を返してしまう自分が駄目なのだろうか。
「お前さあ。もうちょっと人間関係を円滑に進める努力をしたまえよ」
案の定、影平に耳が痛くなる程繰り返された言葉をまた言われる。
「………何か。賭けをしてるらしいよ」
「誰が、何の?」
渋滞の最後尾につき、秋葉はアクセルからブレーキへと足をかける。
「各課の域を越えて、署員が。俺とお前がいつまで持つかって」
「………」
言われている意味が、いまいちよく分からない。
完全に停止した車の中で、秋葉は影平に顔を向けた。
「賭け?」
「そう。お前が俺に音を上げるのが先か、それとも逆か。何が賭けられてるのかは知らないけど。どうする?」
ニヤリ、と笑う影平に、秋葉は顔をしかめて見せた。
「何か、どっちも微妙に癪に障りますね」
「………だな」
どちらの期待に応えるのも嫌だ。
そこで秋葉と影平の意見は一致した。
「どっちでもなかったら、俺たちが何か貰えるのかな?」
のろのろと走り始めた覆面車の助手席で。
ぽつりと影平が呟く。
「やっぱ、賭け事はモチベーションが大切だよな?」
「俺……賭け事しないんで。よく分かりません」
「ホント、可愛げないよね、お前って」
影平の言葉に、秋葉は肩をすくめて何も答えなかった。

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