捜査共助課3(短編小説)

□バトル
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勤務終了間際。
秋葉と梶原の間にある電話が鳴り始める。
何となく嫌な予感がして、一瞬受話器を取ろうとする手が止まる。
秋葉はひとつ、息を吐いた。
「刑事課、秋葉です」
「やっほー、秋葉」
「…………お掛けになった電話は、現在使われておりません」
「嘘吐くな」
受話器の向こうから聞こえてきた佐藤の声に、思わず訳の分からない事を言ってしまったが、もちろんそれが通じる訳もなく。
秋葉は再び、深い溜息を吐いた。
少年課の佐藤から秋葉にかかってくる電話は、大体がロクな話ではない。
「佐藤さん……俺、今日は帰りたいんですけど」
「そこを何とか。陣さんには許可もらってるから」
陣野の名前を出され、秋葉は受話器を手にしたまま陣野の席を見る。
ごめん、というように、陣野が両手を合わせていた。
「だって……そっちは新人が来たんでしょ?こっちはいないんですよ?」
秋葉は一応、陣野に気を遣って声を落とす。
先日。
梶原の後輩だという宮本巡査部長が少年課に配属された。
秋葉は以前から、自分の勤務時間後に少年課に借り出される事が多かったのだが、これでようやくそれから解放されると思っていたのだ。
当たり前の話だが無給な訳ではないし、働きたくない訳ではない。
ただ、今日は本当に疲れているのだ。
来月の給料にほんの少し超過勤務手当てがつく事と、この疲労は天秤にかけられない。
昨日から今朝まで続いた当直勤務から、現場検証書類作成と、現在フル稼働している。
眠気はあまり感じていないのだが、疲労は溜まっている。
何時間起きているのか、そろそろ分からなくなって来た。
自分がそういう身体の欲求に鈍感なタイプで良かったと、心底思う。
「もう、これで最後にするからさ、頼むよ。こっちも手一杯で、宮本に現場を任せられないんだ、まだ」
それは少年課の怠慢だろう、と言いたいところをギリギリで堪える。
「21時まで、ね?お願いします秋葉君」
「…………分かりました」
仕事ならば断る訳にもいかず、これ以上ごねても仕方ない。
秋葉は諦めて受話器を置く。
「大丈夫ですか?」
「………お前の後輩なら、お前が行けよ、馬鹿」
隣席から気遣わしげにかけられた梶原の声に、秋葉はそう言葉を吐き捨てる。
「すみません、何か………変に秋葉さんに対抗意識持ってるみたいで、ルーズリーフ君」
「その、ルーズリーフって何」
少々手荒に書類を片付けながら、秋葉は問う。
ニックネームにしてもふざけている。
宮本邦弘という名前に、一切関連がない。
まさか各種のルーズリーフ収集家というわけでもあるまい。
「初めて会ったときに、ピアス穴をね。8つだったかな?ずらーっと耳に開けてたんです、こう……この軟骨の辺りから、耳たぶまで」
梶原は自分の右耳を指して笑った。
「………鳥肌たった……もういい、聞きたくない」
秋葉は、顔をしかめた。
「いい子、なんですけどね」
梶原はそんな秋葉に苦笑して呟いた。
最近、梶原は宮本に懐かれている。
宮本にしてみれば、目標にしている先輩と同じ職場に来る事が出来たのだ。
それが嬉しいという気持ちは、秋葉にも分かる。
梶原もまだ刑事課では一番下っ端だが、後輩が出来たという事は嬉しいだろう。
常にも増して、仕事に打ち込む姿勢を見せている。
いいのか、悪いのか。
多分いい事なのだろうが。
「勝手に対抗意識燃やされても。迷惑なんだ。…俺は」
本当は、宮本は刑事課に来たかったのかも知れない。
梶原と以前組んでいて、今も同じ課にいる秋葉が目障りなのだろう。
宮本から、どうやら秋葉は満足に仕事をこなせるかどうか分からないと思われているようだ。
それは初対面の時から感じていたのだが。
「合同訓練でも何かと絡んでくるし?剣道じゃ左肩狙ってくるし?あいつは森下2号かよ………」
「でも秋葉さん、負けてないじゃないですか」
「………森下さんに負けるより不愉快だから」
ちらり、と森下に視線を向け、秋葉は小声で言う。
森下は、柔剣道は秋葉より上級だ。
そこに個人的感情が、しかも悪意が大量に含まれているとはいえ、強い。
だが宮本は違う。
「負けず嫌いですよねえ、秋葉さん……」
「無責任な奴。俺が倒れたら責任取れよ」
心底不愉快そうにそう言い、秋葉は席を立った。
少年課での仕事での出番は滅多にないが、特殊警棒を机の引き出しから取り出す。
それをベルトにつけているホルダーに入れ、秋葉は刑事課を後にした。
少年課の扉の前で、一度それをノックする。
課内には、ミーティングをするためにメンバーが揃っていた。
「ごめんねえ、秋葉」
佐藤が軽く手を振った。
口で言う程、彼がそれを本心から思っていない事は分かっている。
秋葉は軽く頭を下げた。
手近にあった丸椅子を持ち、集団の一番後ろに座る。
「ごめんね、秋葉君。今日はすぐ終わるから」
少年課の母親的な存在である上岡徳子警部補が、隣に座りそっと囁く。
年齢は非公開らしいが、50歳という話だ。
「いえ……大丈夫です…」
さすがに佐藤に接するように邪険には出来ず、秋葉はそれだけを呟いた。
「ご飯、ちゃんと食べてる?」
本当に、母親のようだ。
全く自分の母親とはタイプは違うのだが、と秋葉は苦笑した。
「いいわねえ、この細い腕と足!!私の肉あげたいわ」
徳子は真顔で秋葉の腕を叩いた後で、自分の二の腕の肉を摘む。
男性と女性の身体付きは根本的に違うのだから、羨ましがられてもどうにもならない。
そもそも、細い、という事は刑事にとってあまり褒められた事ではない。
秋葉はどう答えればいいものか、と押し黙る。
「本当、真面目ねえ秋葉君」
冗談も通じない、面白味も何もない人間だと言われたのだろうか。
秋葉はふと考えるが、それもどうでもいい事なのかも知れない。
そう思い直し、ポケットに入れておいた手帳を出す。
「秋葉君、1人暮らしよね」
「……はい。…そう、ですけど」
新しいページを開き、そろそろ始まるミーティングに備えていた秋葉は、きょとんと徳子を見る。
「今度うちにご飯食べにおいで?いつも顔色悪いから、おばさんは心配になっちゃうわ」
くすり、と笑う徳子から、秋葉は目を逸らした。
「お疲れ様です、秋葉さん」
きゅるきゅると音を立てて、宮本が椅子ごと滑ってきた。
人懐こい笑顔は、梶原に共通する。
違うのは、秋葉に対する時は少し棘のある口調で接してくるという事だ。
「お疲れ様です」
秋葉も敢えて感情が含まれない口調でそう返した。
やめたほうがいいと思っていた眼鏡を、彼はまだ身に着けている。
梶原は、宮本が秋葉に対抗意識をもっていると言う。
宮本が何を思っているのかは分からないが、秋葉としては別に無理に関わらなくてもいいのだ。
その我関せずという態度が宮本を更に燃え上がらせている事に、秋葉はまだ気付いていない。
2人のやり取りを見ていた徳子は、楽しげに笑みを浮かべた。
「えーと、今日の予定なんですが」
定刻になったのか、佐藤が立ち上がって声を上げる。
「一応、新学期も始まりましたし。コンビニや公園を重点的に巡回してください。溜まってたら、散らして帰宅させる」
まだ、徘徊している子供を片っ端から補導するには時間は早い。
喫煙などの行為がなければ、話をするだけで終わる事が出来る。
最近は、高校生などにも薬物の汚染が広がっている。
声をかけた時の挙動から、そういう違反物を発見する事も肝心なのだ。
それは少年課でも刑事課でも、基本的に同じ事だった。
「秋葉さん、今日は、俺と回ってくださいね」
「分かりました」
宮本の言葉に秋葉は丁寧に答えた。
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