捜査共助課3(短編小説)

□無題
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言葉は意味を持たないけれど

言葉を介さなければ

分かり合えない事も
あるのに


「柊……」
護国寺駅の構内で。
ここに居るはずのない兄の声がした。
秋葉は足を止めるか、それとも逃げ出してしまおうか、本気で迷う。
ほんの数秒の間、迷っている間に、兄に左手を掴まれた。
「な、んで……」
何故こんな場所に、と問おうとして。
今日は土曜日だという事を頭の片隅で、ぼんやりと思う。
夜勤明けで、頭の回転は鈍い。
通常の夜勤でも疲れるのに、昨夜は数件事件が重なった。
その処理で結局、夜勤組は僅かな仮眠すら取れていない。
時刻は午前9時。
人通りもまばらだ。
「こうでもしなきゃ、お前とは話せないから」
秋葉の逃げ道を塞ぎ、それだけでは不安だったのか腕までを捕らえ。
比呂は小さくそう呟いた。
秋葉には曜日の感覚というものはあまりないのだが、比呂は土日が休日の仕事をしている。
今日が休日だったとしても、何故秋葉が仕事を終えてこの駅に来る、このタイミングで彼が現れたのか。
秋葉はそれを悟った。
「駄目だよ。梶原君に八つ当たりしたら。連絡を取れなくしているお前が悪いんだ」
秋葉は。
妹の命日に伯父と衝突してからというもの、私用携帯の電源を落としたままでいる。
仕事には全く差し支えがないので、特に不自由を感じないまま、数ヶ月。
「どれだけみんなが心配してると思ってるんだ」
いつになく、比呂の声は厳しい。
秋葉も、それを考えていなかった訳ではない。
決してそうではないのだが。
「俺が死んだら、ちゃんと連絡は行くから……」
つい、そんな科白を吐いてしまう。
それ程までに、距離を置きたい存在になってしまった家族。
それを修復したくても、秋葉の思いだけでは、もうどうしようもない。
「こんな所で殴られたい?」
ぎり、と比呂が手に力を入れた。
「ごめん、離して。逃げないし……ここ、昨日の現場でちょっと怪我してるんだ。痛いから、離して」
「…………」
懐疑的な視線で見られ、秋葉は苦笑する。
「嘘じゃないよ……」
秋葉は、やんわりと比呂の手を振り解く。
「お前と、話がしたい」
改札を抜け、ホームに向かう。
ちょうど発車したばかりの車両が起した風が、吹き抜けた。
「何で?」
「………兄貴がたった一人の弟と話がしたいと思っちゃいけないのか?」
こんな風に唐突でなければ、秋葉は言い訳をして逃げてしまう。
比呂にはそれが分かっていた。
そして。
夜勤明けを狙ったのは、梶原のアドバイスによるものだ。
身体が疲れている分、秋葉は本音を口にしやすくなる。
次の電車がホームに入ってくるアナウンスが流れた。
「…………お前の部屋、行ってもいいか?」
「駄目って言っても、ついて来るんだろ」
今更何を、と言いたげな口調だった。
空いた車内でも、秋葉はドアの近くに立っている。
それに倣い、比呂も弟の隣に立った。
疲労の色が濃い横顔は、まだ刑事の顔だ。
時折さりげなく、しかし鋭い目で周囲を見ているのは、何かを探しているのかも知れない。
秋葉が日頃、どのような仕事をしているのか。
比呂を含め、家族はそれを知らない。
警察官が守らなければならない守秘義務以前に、既に会話が成立していない家族なのだと比呂はふと思う。
何事か事件が起きても、それはテレビの画面の向こうの事。
妹を失った時のように、相模の事件で秋葉が死の淵をさ迷った時のように。
たとえそれに、秋葉が関わっていたとしても、いつも家族は蚊帳の外だった。
「比呂兄………降りるよ」
ぼんやりとそう思っていると、秋葉が比呂にそう声をかける。
減速していく車両の、今いる場所とは反対側の扉が開くようだ。
比呂を待つ事なく、秋葉は歩き始める。
それは駅を出てからも変わらなかった。




続く
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