公安第一課3(裏小説)

□無題
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「今年は実家に顔出せよ、彼岸の間には」
昨夜、兄の比呂からの電話でそう言われた。
それにはひどく曖昧な返答をした。
きっと自分は、今年も今までと同じように家族とは顔を合わせないようにするのだろう。
言い訳ならばいくらでも作れる。
仕事、としか言いようはないのだが。
秋葉はそう思いながら、ひとつ溜息を落とした。
つい先週のこと、比呂には息子が生まれた。
つまり、秋葉にとっては甥という事だ。
名前はまだ漢字が決まっていないから内緒だと言われた。
義姉も元気にしているという連絡だけ受け取り、それに対してもまだ行動を起こしていない。
決して会いたくない訳ではないのだが、会わない方がいいような気がしてしまう。
これでも、姪の唯のおかげで最近は随分と実家を訪れる機会は増えたとは思う。
だが、秋葉にとってはまだ、春という季節がどうしようもなく恐い。
家族はそれぞれが痛みを抱え、それでも前に進もうとしている。
それは秋葉も同じことだが、どうしても彼らの中に居ると、ひどく申し訳ない気分を抱いてしまう。
もう一度、溜息をつきかけて。
秋葉はふと梶原が隣にいる事を思い出した。
明るい部屋の中。
壁にもたれて、2人は並んで床に座っている。
この場所が、一番日当たりがいい。
携帯を操作しながら、梶原は顔を上げた。
「秋葉さん、今、俺がいる事忘れてたでしょ」
おかしそうに目を細め、梶原が言った。
「………忘れてた」
秋葉の正直な呟きに、梶原はくすりと笑った。
今までの春よりも、少し気が楽な気がするのは。
梶原が側にいるからだろうか。
メールでも打っているのだろうと思い、梶原の指先の動きを見つめた後、秋葉は視線を虚ろに流した。
今日は気温が高い。
窓を少し開けているのだが、時折入ってくる風はもう4月の様な感触だ。
こんな日は、心が不調を訴える。
それを持て余しながら、秋葉は息を潜めるようにいつもこの季節をやり過ごす。
ただ、去年までと明らかに違うのはここに梶原がいる、という事だ。
誰にも見せたくない不安定さや、自分では全くコントロールの効かない心の奥底。
秋葉のそんな部分を見ても尚、梶原は秋葉の側にいる。
手を、差し伸べてくれる。
「………余計な事考えてると、また調子悪くなっちゃいますよ?」
梶原がそっと、携帯を持っていない左手で秋葉の右手を掴んだ。
秋葉は自分の手が冷え切っている事に、いつも梶原に触れられて気付く。
秋葉が繰り返している堂々巡りにも似た思考を、『余計な事』と梶原は笑う。
敢えて、今はそう言っているのだという事は秋葉にも分かっていた。
秋葉のためにそんな言葉を梶原は選ぶのだ。
「春は………でしょう?気を、つけて……」
耳鳴りの所為で、梶原の言葉の途中を聞き逃した。
秋葉はそれでも頷き、僅かな間、梶原の肩にもたれて目を閉じる。
「お彼岸は、どうするんですか?」
ぱたん、と携帯を閉じて梶原が問う。
「…………さあ……わからない」
答えた声は、ざらざらと掠れた音を立てた。
梶原は沈黙し、再び携帯を開ける。
そして数回キーを操作し、秋葉の目の前にそれを差し出した。
「俺、比呂さんちの赤ちゃん、見たいなあ……」
「……………」
秋葉がそれを見ると、画面には眠っている子供の写真。
「今日、退院したらしいですよ?」
本当に、どうして梶原が比呂や朋香と繋がっているのだろう。
それがおかしくて、秋葉は少しだけ笑みを浮かべた。
「ねえねえ、見たい見たい、赤ちゃんみーたーい!!!抱っこしーたーいぃぃぃ!!!」
そんな秋葉を見て、もう一押しと思ったのか。
梶原は楽しげに駄々をこね始める。
「何で、お前を連れて行かなきゃならないんだ……?」
秋葉の呟きに、梶原は満面の笑みを見せた。
「やった!!連れてってくれるんだ!!ラッキー」
「いや、誰もそんな事言ってないし」
いつの間にか、梶原のペースに巻き込まれる。
そして、心の中に巣食う痛みを、秋葉は僅かに手放す事が出来るのだ。
「お祝い、何にしよっか……」
秋葉は、楽しげに語りかけてくる梶原を見た。
「ごめん、梶原……」
はしゃぎながらも、秋葉と深く付き合うようになって初めての春に、梶原が緊張している事。
秋葉にはそれが痛いほどに伝わってくる。
心身のバランスを崩した時の秋葉の扱いに、いくら慣れたとはいえ。
そんな緊張を梶原に強いているのは間違いなく秋葉自身で。
謝らなくてもいいと言われながらも、どうしても口をついて出てくるのはそんな言葉になる。
「え……?あ。俺……調子に乗りすぎました、ね」
「違う、そうじゃなくて……」
心を表現する、もっとも適切な言葉が、いつも思い浮かばない。
それを必要とする、肝心な時に。
それこそ『余計な事』しか思い浮かばない。
「ごめん……」
もう一度、その言葉を呟いた秋葉を。
梶原が僅かに悲しげに見つめ、その後でそれを振り切るように笑顔を見せる。
「俺……そういうのも、疎いから。一緒に選びに行ってくれる……?」
「うん」
梶原は微笑み、秋葉の頬に手のひらを当てた。
「お彼岸だし。きっとみんなも……秋葉さんに会いたいって思ってるよ?」
みんな、という言葉に。
命在る者とそうではない者を含ませて。
梶原は秋葉にそう告げる。
「……そんな事……思わない、よ……」
「どうして?」
軽い口付けを頬に落とし、梶原は秋葉の髪を撫でた。
「みんなに会うの、恐い?」
「…………恐い」
逝ってしまった人たちにも。
新しく生まれてきた命にも。
触れる事が恐ろしい。
「少しずつ、そういうの……消していけるようにしようね?」
「…………うん…」
浅く頷いて見せた秋葉の手を、絶対に離さないように。
梶原は力を込めた。
そして、短い祈りを心に刻む。
彼の岸へ旅立った人たちへ。
そして彼の岸から廻り、生まれた命へ。
どうか、この疲弊した魂を救う術を。
この手に。

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