公安第一課3(裏小説)

□還る
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深く深く、長方形に掘り下げた地面
肌に纏わりつく湿気
土のにおいは最期の別れ
ざくり、ざくりと
無言で棺に土をかけていく大人たち

ああ
こんなに重い土をかけられて

あの人は
苦しくないのだろうか

死者の叫びが
聞こえた気がして耳を塞ぐ


木々の間から羽音が響いた

死者の使いが黒い翼を広げる

夕闇

死者の使いが啼いた


塵から生まれた者よ

塵に還れ、と




「ただいまあ!!秋葉さん」
滅多に秋葉と梶原の勤務形態が違う事はないのだが。
今日は秋葉が非番で梶原は日勤だった。
戻ってきた梶原が、秋葉にそう声をかける。
秋葉がテレビの画面から目をそちらに向けると、いつものように好奇心旺盛な犬のような目をした梶原と目が合う。
「……今日は…そんなに楽しい仕事だったのか?」
「いいえ?それほど楽しくはなかったです」
そう答えつつも、梶原は秋葉と何事か会話を続けようとしているようだ。
秋葉はぼんやりと見ていたバイクレースのDVDを停止させるために、リモコンに手を伸ばす。
本当にぼんやりとし過ぎていて。
眠っていたわけでもないのに、第1レースの結果を見た記憶がない。
画面では既に第2レースが終盤に差し掛かっていた。
「じゃ、何」
梶原との会話は、時折ではあるがなかなか本題に入らない事がある。
それを避ける為に、秋葉は意図的に突き放したように梶原を促す。
テレビを消してしまえば、何の音もない部屋だ。
「ちょっと待ってね」
梶原は荷物を置き、着替えをしながらそう言った。
「今日ね、すっごい面白い話を聞いたんですよ」
「だから、何の?」
さっさと話して解放して欲しいという要求を、今度はあからさまに言葉に含んでやる。
秋葉の隣に座った梶原が、秋葉の目を覗き込んだ。
「聞きたいですか?」
「聞きたくない」
「あのですね……今日こんな話を聞いたんです」
秋葉に慣れて、打たれ強くなったのか。
それとも、ただの馬鹿なのか。
恐らくどちらとも梶原に当てはまるだろう、と秋葉は軽く溜息をつく。
そして、梶原に対して棘のある言葉を投げてしまう自分自身にも、後悔の溜息をついた。
どうしても、春は。
まだ恐い。
本当は独りで居た方が、梶原に負担をかけなくて済む。
それでもどうしようもなく、独りが恐い。
隠し切れない苛立ちを、梶原にぶつけてしまう自分を消してしまいたい衝動にも駆られる。
梶原は、そんな事を考えている秋葉の横顔を見つめ、ふと笑った。
「何………」
「よいしょっと」
梶原は秋葉の身体に両手を回し、自分の方へ抱き寄せた。
「離せ」
「い、や、だ」
秋葉の身体を後ろから抱き、梶原は秋葉の黒い髪に頬を寄せる。
「…………何の話?面白い話って」
梶原が自分を離すつもりがない事を悟り、秋葉は諦めて身体の力を抜く。
梶原に背中を預けてしまえば、その温もりは秋葉から束の間不安を取り去ってくれる。
「人の成分って、土の成分とほぼ同じなんだって。知ってました?」
「………知らない」
目の前にある梶原の腕に手を掛け、秋葉は首を振った。
「今は火葬しちゃうからわかんないけど、昔、まだ土葬だった時にはね。人の身体は、最後には土に還ってたんだって」
一体梶原は、今日どんな現場に出ていたのだろう。
予想する事すら出来ない。
秋葉は軽く笑った。
そして、先刻まで独りで何を考えていたのかを思い出そうとした。
今日は頻繁に記憶が暴れる。
発作を伴うフラッシュバックまでは行かないが、まるで何かの写真のように、脳裏に断片的な記憶が浮かぶ。
秋葉は寒気を感じて梶原の腕を掴んだ。
「きっと、人は土から生まれて土に還るんだね」
梶原は秋葉の首筋から左肩を手のひらで撫でながら、そっと呟く。
「昔………何かそんな話……聞いた事、ある」
『聞いた』話を、脳が勝手に画像にしてしまう事がある。
自分が体験したわけでもない事を、まるで自分で得た記憶のように。
特に秋葉は、その現象と自分自身の記憶との線引きが難しい。
全てが曖昧な嘘のようで、本物の記憶のようで。
『柊……』
耳に心地良く響く、あれは祖母の声だっただろうか。
それとも祖父の声か。
秋葉は両目を閉じた。
梶原は動かずに秋葉の言葉を待っている。
「あ………」
ふと何か思い当たったのか、秋葉が微かな声を上げた。
「分かった、思い出した」
「………聞かせて?」
梶原の腕に気だるく頭を乗せ、秋葉は口を開いた。
「昔、そう、まだ土葬だった時」
秋葉の祖父が、新しく墓を建てた。
墓地には他にも祖父の弟の墓などはあったのだが。
祖父は自分がいずれ近いうちにその墓に入る事を考えていたのかも知れない。
そして先祖の骨をその墓へ入れる為に、祖父は山にあった墓を掘り返した。
100年以上前からある墓だ。
無論、立派な墓石などなく。
丸い石が置いてあるだけであったり、四角く切り出した石に地蔵が掘り込まれてあったり。
祖父は分かる限りの墓を掘り返した。
棺や骨の一部が残っていたり、いなかったり。
それを丁寧に集め、真新しい骨壷に入れる。
やがて。
随分昔、祖父から見て何代遡った人の物か、秋葉はそれを覚えてはいないのだが。
祖父は、桐で出来た棺を掘り当てた。
腐る事もなく、棺という形のまま、それは埋まっていたという。
祖父は一瞬、恐ろしい事を考えた。
この棺を開けた時に、一体中に何が入っているのだろう、と。
無論、人である事は間違いない。
だが、他のもののように、この棺に眠る人は土に還っているのだろうか。
意を決して、祖父がその棺を抉じ開けた時。
「………何が入っていたでしょう」
秋葉を撫でていた、梶原の手がぴたりと止まる。
温かかった梶原の指先が、少しばかり冷たくなっている事に秋葉は気付いた。
その手に自分の手のひらを重ね、秋葉は梶原の手を温めようとする。
そうしてみて、やはり冷え切ったこの手では梶原を温める事など叶わないのだ、と悲しくなった。
「ミ……ミイラ?」
そんな秋葉の思いには気付かない梶原は、恐る恐るといったように答えた。
想像力が豊かな分、きっと秋葉の拙い話でも充分その場面が想像できるのだろう。
「…………何?教えて?秋葉さん」
なかなか答えを言わない秋葉に焦れて、梶原は秋葉の身体を揺する。
「水、だったって」
白い帷子の切れ端と。
透明な、水。
祖父が目にしたものは、それだけだった。
その時代。
桐の棺、しかも隙間すらなく完璧に作られた棺を使えるのは、珍しい事だったに違いない。
「人の身体の水分量の割合って、地球と一緒なんでしたっけ。地面と海と同じって聞いた事あるんですけど」
梶原の声を聞きながら、秋葉は再び目を閉じる。
「何処に、還るんだろう」
その密やかな呟きに、梶原は微笑んだ。
「まだ、ここに居てよ」

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