公安第一課3(裏小説)

□さくら横ちょう
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春の宵
さくらが咲くと

花ばかり
さくら横ちょう



あなたは、もうここにはいないのだと。
もう何処にもいないのだ、と。
ひとつひとつ、身体の細胞に言い聞かせる。
その姿を探そうとする指先を止め。
その声を聴こうと澄まされる聴覚を殺し。
ひとつ、ひとつ。


ここから先、あなたと共有する出来事は無い。
あなたの魂は、身体を離れて遠くへ。
何処か、遠くへ。
幾度春が来ても。
足りない何かは埋められぬまま。



(……止めておけばよかった)
実家を訪れた秋葉は、玄関に家族のものではない靴が並べられているのを見て、溜息をついた。
自発的に起こした行動を、こんな風にひどく後悔する事は最近ではあまりなかったのに。
妹の、貴美の命日。
それに合わせて、この場所に来てしまった。
彼女が亡くなってから、秋葉はほとんど実家に足を踏み入れる事はなかった。
相模の事件後少しの間ここに居たが、それも今ではよく覚えていない。
昨年、疎遠になりかけた家族との関係を少しずつ修復しようと思うようになった。
徐々に離れていこうとする秋葉を、両親や兄は必死で繋ぎとめようとしていた。
妹の命に加え、その思いまで踏みにじってしまう事は秋葉には出来ない。
「伯父さんが、来てるの」
玄関まで秋葉を迎えに来た母親の周子がそう言う。
秋葉にとっての伯父は、周子の実兄だ。
その伯父が来訪している事を告げる口調は、秋葉を案じる物だ。
彼と秋葉は、折り合いが悪い。
「………今日はすぐ、帰るから。これ、生けてもらってもいい?」
秋葉は周子を安心させるように笑い、仏前に供えるための切花を周子に渡す。
努めてゆっくりと靴を脱ぎ、ひやりとする廊下に上がる。
この家に来ると、何よりも先に線香のにおいがする。
素通りする訳にもいかなくて、秋葉は居間の扉に手をかけた。
「………ご無沙汰しています」
伯父と目が合う。
同じ都内に住んでいる事もあり、こういう節目節目には必ず訪ねてくる。
忘れずにいてくれる事はありがたい事なのだが。
冷ややかな伯父の目線に、秋葉は逃げ出してしまいたくなる。
そういえば、彼の名前は何だっただろう。
最初から覚えていなかったのか、思い出す気が無かったのか。
それは自分自身でも分からないが、秋葉はそう言って頭を下げた。
気難しい人物だとは思う。
白髪交じりの髪、常に眉間に寄せられたシワ。
周子と似ている所は何処も無い気がする。
「おかえり」
伯父と向かい合っていた、父親の貴之が秋葉の方を振り向いた。
それには相変わらず可愛げの欠片もないような、ぎこちない笑みを返す。
「………何をしに来た」
伯父がそう呟いた。
射抜くような目を秋葉に向ける。
彼は、貴美が死んだ時。
秋葉に『お前に泣く資格はない』と言った人物だ。
『お前が貴美を殺した。それを忘れるな』と。
記憶を失くしてこの家に居た時も。
顔を合わせた時にはそう言われ続けていた。
「こんな日に。お前がここに来るな」
「お義兄さん」
貴之と周子が止める声が聞こえたが、秋葉の意識は既にこの場から逃げる方向へ向かっていた。
一刻も早く、逃げたい。
逃げようと、思うのに。
笑うしかなくて。
「すみません……」
謝罪の言葉を伯父に言いたかったのか、それとも両親だったのか。
それすらも分からないまま、秋葉はそう呟いた。
仏壇に、線香くらいは供えていこう。
そう思い、後ずさる。
「お前が死ねばよかったんだ。俺は今でもそう思っている」
ドアを閉めようとする瞬間。
追いかけるように、伯父の言葉が聞こえた。
薄暗い廊下を数歩、歩く間。
秋葉は心を殺す事に専念した。
殺した心と同じくらい、静かな仏間。
そこへ入り、妹と向き合う。
仏壇の両脇に供えられた鮮やかな花は、恐らくあれから毎年命日前後には必ずここを訪れてくれる、陣野が供えてくれたものだろう。
彼が来たのが今日でなくて良かった。
心底そう思う。
これ以上、陣野には負担はかけたくない。
重い責任を負わせたくない。
「ごめんね、貴美」
小さな蝋燭が燃え尽きる間でさえも、この場所に留まれないから。
秋葉は持ってきていた、形見のライターから線香に直接火を移す。
その線香も、半分に折った物だ。
器に満たされた灰の中に短いそれを挿し、立ち上る煙を見つめた後でそっと手を合わせる。
「本当だね。俺がお前の代わりに死ねばよかったのかも……」
結果的に、何人の命を奪ってしまったのだろう。
「そうすれば、皆……」
穏やかな笑顔の、貴美の遺影。
何処となく、唯にも似て。
それを見上げ、一瞬目を合わし。
秋葉は立ち上がる。
「柊二!」
廊下に出ると、周子が声を上げて腕を引く。
たった一人の母親にまでこんな悲痛な面持ちをさせてしまう自分を、本気で消してしまいたくなる瞬間がある。
それでも、死という最終手段を選ぶ権利は自分にはない。
「ごめんね、母さん。夕方から仕事だし、帰るね」
やんわりとその手を振り解き、秋葉はやはり笑って見せた。
「また、ゆっくり来るから」
恐らくそんな下手な嘘は、周子には通じない。
立ち尽くす周子に背を向け、秋葉は玄関に向かう。
お互いに、何の言葉を交わす事も出来ぬまま。
秋葉は後ろ手に扉を閉じた。



あの日も。
こんな日だっただろうか。
火葬場の桜が散っていた。
綺麗で、綺麗で。
そのまま息が止まってしまいそうだった。
視界を奪われ、目眩を感じた。
あの時、そっと寄り添ってくれた奈穂も。
今はもうここにはいなくて。
何処にもいなくて。
秋葉はふと足を止め、桜を見上げた。
重たそうに枝を広げる木と、はらはらと散っていく花びら。
あの日も。
こんな日だっただろうか。
空は青くて。
ポケットに入れた携帯が鳴る。
秋葉は緩慢な動作でそれを取り上げた。
画面には、周子の名前が表示されていた。
「…………もう、どうでもいいのに……」
苦笑して、秋葉はそのまま携帯の電源を切ってしまう。
仕事用の携帯を持ち帰っているので、仕事関係ならば私用携帯が繋がらなければそちらにかかるだろう。
その番号は、仕事関係者以外、誰も知らない。
こんな事になっても、まだ。
刑事という仕事にしがみついている。
寄りかかって寄りかかって。
生きる支えにしている。
自分からいくつもの大切なものを奪っていった、刑事という仕事に。
それでもまだ、浅ましくしがみついている。
その事実が何処か可笑しくて、秋葉は笑った。
視界を遮っていく、大量の桜の花びら。
風に舞い、流されていく。
息が止まりそうで。
恐い。
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