公安第一課3(裏小説)

□Vocalise
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儚くも

散り行く色は

春の色

淡き香りに

心揺るがせ



言葉、というものは。
不思議なものだと梶原は思う。
急ぎ足で春が駆け抜けていこうとしている、4月半ば。
5月に咲くはずのツツジや藤が、既に咲いている場所もあった。
年々、季節が少しずつ狂っていく気がする。
休日の午後。
梶原は秋葉を誘い、神田川の川沿いにある公園を歩いている。
近くにある高校の校舎から、ブラスバンドの音が聞こえていた。
秋葉は言葉を口にする事無く、ただ、梶原の傍らで同じ速度で足を進めている。
先日秋葉が実家へ顔を出した日から、何処となく様子がおかしい。
『お前が死ねば良かったのに』
と、身内の誰か……後で秋葉の兄の比呂に聞いた所によれば、伯父らしいが。
その伯父に言われた言葉を、噛み砕くのに時間がかかっているのだろう。
秋葉は自分にとって必要な言葉もそうでないものも、一度全てを飲み込もうとする。
梶原にとって見れば、不必要な言葉まで、わざわざ身の内に取り込まなくてもいいと思えるのだが。
今の秋葉は、それを振り分ける事に時間がかかってしまう。
あの日から秋葉は、私用の携帯の電源を切ったままだ。
それでも仕事用の携帯があれば、彼の場合充分に事足りる。
繋がらない携帯を心配して、比呂が梶原に連絡をしてきた。
以前から、何となく気が合う事もあり、比呂とは連絡を取り合っている。
多くを語らなかった秋葉に代わり、比呂から事の顛末を聞いた時。
正直、感じた怒りを持っていく場所が無かった。
人を活かすも殺すも、言葉はどちらにでも働く。
もちろん、秋葉は仕事に支障をきたすような事は一切していない。
職場や現場で仕事をこなしている間は、身体と精神を酷使する事で何かから逃れられる。
それはいつもと変わらない秋葉の姿であり、別段無理をしているような様子でもない。
少しの間だけ、そっとしておいてあげて欲しいと。
梶原は秋葉を案じる比呂に頼んだ。
4月は特に、難しい季節だ。
常に死に近い場所にいる秋葉の魂が、最も彼の岸辺に曳かれていく季節。
秋葉が今、何を思っているのか。
その無表情な横顔からは、全く何も伝わってこない。
秋葉は何も語ろうとはしない。
秋葉と居る時は、言葉や感情が意味を成さない事もあるのだと。
時折そんな事を思う。
凍りつく秋葉の心を揺り動かすには、何が必要だろう、と。
梶原の目に鮮やかに映る新緑も、淡く散る桜の花も。
秋葉の硝子玉のような瞳には、何も映らないのかも知れない。
離れて行きそうな、手を繋ぐ事も出来ず。
2人は無言のままで川沿いの桜の木の下を歩いていた。
既に葉桜になりかけている枝に、辛うじて残っていた花びら。
何に執着する事もなく、風に命を失って散っていく。
その儚さと潔さが、人を強く惹き付ける。
ふと秋葉が足を止め、その花びらの行方を目で追った。
不意に吹いた強い風が、木々を揺らす。
その風を契機として一斉に散り始めた花びらに、少し恐れを感じたように。
秋葉はゆっくりと、同じように足を止めた梶原を見た。
やはり言葉は存在せず、秋葉はただ悲しげに微笑む。
短い春が、逝ってしまう。
秋葉の心が微かに揺れた瞬間を、梶原は見たような気がした。

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