公安第一課3(裏小説)

□2つの願い
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人は
貪欲だから


1つしか叶わない願い事を
時々、2つ心に抱いてしまう


希望や期待を忘れた心

それでもまだ
何を願う?



「今日、どうする?」
珍しく秋葉が、梶原に問う。
目は合わせる事がない、護国寺のホーム。
普段ならば秋葉は、梶原が部屋に来るか来ないか、そんな事は別に気にしていない。
例え、側に居て欲しいと切実に思う日でも。
それを決めるのは梶原だと思っている。
梶原は梶原で、今日は秋葉の部屋に行けないという事を、何となく昨日から言いそびれてしまっていた。
特に後ろめたい事があるわけでもないのだが。
「あ、今日は……ちょっと……」
梶原は言葉を濁す。
「……ルーズリーフ君?」
ほんの数秒の沈黙の後。
秋葉は笑った。
「あ……はい……」
梶原は、4月に少年課に配属された宮本に慕われている。
何かと梶原が彼の相談に乗っている事を秋葉も知っていた。
「秋葉さん、明日は?」
目の前に滑り込んできた、地下鉄の車両のドアが開く。
「あ。ごめん、忘れ物した。戻らなきゃ。……明日?行けたら病院いくから多分いない」
車両の方へ踏み出した梶原を見送る形で、秋葉はそう言った。
「秋葉さん」
「早く行けよ。お疲れ」
振り向いた梶原に、僅かに笑んで、秋葉は踵を返した。
ホームを離れていく電車の加速音を聞きながら、秋葉は溜息をつく。
我ながら、下手な嘘を吐いてしまった。
もちろん、職場に忘れた物など無い。
秋葉は自分自身を嘲笑う。
決して梶原を束縛したい訳でもない。
独占欲という感覚はとうに何処かに置いてきた。
ただ、梶原が疲れているのではないかと思うのだ。
自分の側に居る事で、確実に彼の行動は制限されている。
『俺がそうしたいから、ここに居るだけですよ?』
梶原はいつも、そう言って笑ってくれる。
それに甘えすぎてはいけない。
ルーズリーフこと、宮本が何かと敵対心を持っている事は分かっていた。
それこそあからさまなそれは、今自分が梶原に吐いた嘘と同じくらい分かり易い。
秋葉も以前は、無心の信頼を向ける相手がいた。
もしも、宮本にとって梶原がそうなのだとしたら。
それを自分が奪うわけにはいかない。
この仕事をしていて、信頼できる同僚や先輩を持つという事は簡単なようで実は難しい。
宮本は、警察官になったきっかけを与えたのは梶原だという。
ならば、なおさら。
「…………ばーか…」
とん、と壁に背中をつけ、秋葉は呟く。
電車を数本やり過ごし、梶原が充分何処か遠くへ行ったと思われる程の時間を潰す。
行きかう無数の人間。
ドアへと吸い込まれ、そして吐き出され。
そのひとりひとりにどんな人生があるのだろう。
そんな事を思いながら、秋葉はぼんやりと、人の流れを見ていた。



「あれっ!!秋葉っ!!」
ぼんやりと何本も電車をやり過ごしてしまっていた秋葉の耳に、不意によく知った声が飛び込んでくる。
それで現実に引き戻された。
「……久しぶり、だな」
「そうだよ!!だって最近秋葉、全然来ないじゃん、補導」
そう言って、彼女、村上沙希は嬉しそうに飛び跳ねる。
肩から提げたバッグの中で、がしゃんがしゃんと何かが物音を立てた。
秋葉はここから電車に乗って帰宅するが、沙希はここが到着の駅だ。
今、何時だろう。
そう思いながら秋葉は右手首の時計に目をやる。
今日は日勤だったし、まだ時刻は早いうちだ。
沙希が街に出るにも早い。
本気で夜遊びがしたいなら、新宿でも池袋でも、もっと適した街はあるだろうに。
沙希は何故か、夜になると大塚署の管轄内を出ない。
コンビニや公園で、気心の知れた友人と屯っているか、独りでふらふらとゲーセン等で遊んでいる。
「まだ補導の時間じゃないな」
「最近真面目に遊んでるんだもーん」
進級がかかった学年末試験で、見事に赤点を並べ、補修と追試験を受けまくって彼女はようやく進級した。
そろそろ落ち着いて欲しいと思うのだが、本人はこれでも落ち着いているらしい。
だいぶ傷跡が薄くなってきた腕を秋葉に見せ、沙希は笑う。
「でもつまんないよ、もう秋葉、来ないんでしょ?」
補導の刑事が来ないから、夜遊びがつまらないというのも何だかおかしい。
「あいつがいるだろ」
秋葉の苦笑いに、沙希は口を尖らせる。
「あいつって、るーの事!?ヤダよ、秋葉がいいよ。皆言ってるもん」
「皆って誰だよ。お前だけだろう」
いや、それよりも。
既に宮本が『るー』という名で呼ばれている事に驚く。
思いの他、彼はうまくやるかも知れない。
沙希は、何かを言おうとしたが、ホームに電車が入ってくるのに気付いて黙った。
「………乗らないの?秋葉」
「……お前がいなくなってから。尾行されたら嫌だから」
沙希にはこの冗談が冗談ではなくなる時がある。
彼女が一時期本気で秋葉の自宅を突き止めようとしていた。
もちろん、何かゲームのような感覚で、だが。
「…もしかして…帰りたくないの?」
「………別に?」
沙希は、秋葉の隣で同じように壁にもたれる。
「なぁんか…ねえ。秋葉、捨て猫みたいな顔してたよ。私が声かける前」
電車のドアは閉じられ、たくさんの人間を飲み込んだ箱はレールの上を走っていく。
「なんていうか……」
沙希は言葉を探すように、首を傾げる。
「寂しい…痛い…悲しい…不安…死んじゃいそう…誰かタスケテ…」
いくつか言葉を呟いてみるが、どれもしっくり来ないらしい。
「でも、何があったのって聞いても、きっと秋葉は言わないもんね。まあ、私に話せる事なんかないだろうけど?」
どうして女という生き物は、こうも鋭い時があるのだろう。
秋葉は反対側のホームから出て行く電車を見ながら、そう思った。
「秋葉、苦手だもん。自分の気持ちとか表現すんの。人の事なら分かる癖にさ」
年齢は関係ないのかも知れない。
沙希は時に恐ろしい程に鋭い。
「ねえ。思ってるだけじゃ、気持ちなんて絶対に伝わらないんだよ?」
「………」
何も答えない秋葉に対して、確信を持って彼女は言葉を紡ぐ。
「心の中で思ってるだけじゃ、大切な宝物、誰かに取られても文句言えないの」
口に出さなきゃね。
そう言って、沙希は秋葉を見上げる。
「だから、私はいつも言うんだよ。秋葉好き〜って。取られたくないもん。言うだけなら自由だよね?」
その感情は、一時の気の迷いだ、とか。
思春期にありがちなものだ、とか。
やんわりと片付けるなら、いくらでも形容する言葉はあるのかも知れない。
「そこで黙るなっての!!いくら私でも傷つくっての!!」
ぐるぐると答えを探していた秋葉の腕を、沙希が乱暴に叩く。
「ごめん……真面目に答えなきゃと思って」
秋葉の言葉に、沙希が楽しそうに笑った。
「ほんと、馬鹿だね秋葉。これあげる。秋葉がちゃんと言いたい事その人に言えますように」
沙希は秋葉の右手を取ると、ポケットからりんごののど飴をひとつ取り出した。
「おまじない。じゃあ……またね!またって言ってもいつ会えるか分かんないね。今度刑事課遊びに行こうかな」
「それは勘弁して」
沙希ならばやりかねない。
彼女には、大塚署は自分の家の別宅のようなものだと思っている節がある。
「バイバイ。迷子にならずに帰るんだよ秋葉」
沙希は笑って手を振る。
それにどうにか笑みを返し、秋葉は軽い足取りで改札へ向かう彼女の後姿を見送った。
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