東京拘置所

□美貌の青空〜情〜
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「おやおや……」
夕刻帰宅した大和は、柊の様子を見るために襖を開けて小さく呟いた。
「おかえり」
にんまりと笑う遼は、猫のように身体を丸めた柊の傍らに横たわり、あやすようにその背をのんびりと叩いていた。
そっと近寄り、眠る柊の横顔を覗く。
彼の頬にはいつも、涙の跡が残っている。
それにしても。
滅多に隙を見せず、他人に気を許さない柊が、よりによって遼の添い寝で眠るとは。
「……これは俺の役目じゃねえよなあ?」
「かといって私の役目でもないねえ」
ひそひそと二人は言葉を交わす。
「柊がこんなに深く眠るのは珍しい」
大和の言葉に、遼は勝ち誇ったようにふふんと笑った。
「妬いた?」
「……妬かせたくてこうしているのかい?」
意味の無い問いだと分からせるために、大和は遼の問いには答えず問い返す。
遼は更に楽しげに笑った。
「私が妬く必要などないだろう?お前さんは私のものだ」
「そう。そしてお前は俺のもの」
お互いに『もの』という表現は好きではないのだが。
今はそれでもいいか、と笑い合う。
その後で遼は、すう、と笑みをしまった。
視線を柊に落とし、溜息をひとつ。
「まだ……会わせてやれねえのか」
「……そうだね」
柊の涙の理由はひとつだけだ。
「髪が伸びてしまった……」
大和は柊の黒髪に指先で触れ、呟いた。
柊は頑なに髪を切りたがらなかった。
長めの髪は、それはそれで彼に似合ってはいるのだけれど。
その理由も、ひとつだけ。
最後に柊の髪を整えたのが、あの化粧師だったからだ。
「柄でもねえが……子猫の泣き顔を見てると、ちょいと辛い」
遼は再び口許に笑みを浮かべる。
「そうだね…」
大和は遼の頭を撫で、立ち上がった。
遼も柊を起こさないようにそっと身体を起こす。
「どうして会わせてやれねえんだ?」
遼がいつも立ち寄っている向島の店。
そこで、件の化粧師を幾度か見かけたことがある。
「いろいろと、ね……」
酒と肴を用意しながら、大和は小さな声で呟いた。
「何を面倒な事を考え込んでいるんだか。お前はもっと単純に物事を捉えればいいのに」
大和から酒瓶を奪い、遼は揶揄するように言う。
「物事が全てお前さんのように単純に片付くなら、もっと楽になるんだろうねえ」
肩を竦めるその仕草に、遼がむっとしたように口を尖らせた。
「あの子猫は身体が病んでるんじゃねえ……そりゃ身体も多少は病んでるだろうが。……想い焦がれてる男に会えねえから病んでるんだよ。会わせてやれよ。そしたらきっと……」
「そうだろうかね……」
ぶつけた言葉をするりと流される。
遼は少々苛立ってきた。
「お前はいつもそうだ。情ってもんが薄いんじゃねえのかい」
自らが発した言葉ながら、遼はそれは違うと思っている。
本当は、大和は優しい人間だ。
恐らく職務上の都合よりも、あの化粧師と柊を会わせる事を個人的に躊躇っているのだろう。
柊がこれ以上傷つく姿を見たくないと思っているのだ。
「かといって、お前さんのように全てが情で片付くほど、世の中は簡単じゃないと思うがね……」
「簡単なことさあ。その化粧師が柊を受け入れる覚悟があるかどうか、だろうよ。それでももし駄目だったら?柊がどうなるか心配なんだろう?どうにもなりゃしねえよ」
遼は柊がいる座敷を見やる。
「どうにかなったとしたって……それは運命ってやつよ。それに……それで子猫を放り出すほど、お前は情のない男じゃねえ。それなら端から引き取って世話なんかしなきゃ済む話なんだからな」
「情が無いだのあるだの、どっちなんだい。全く忙しいね」
くすくすと笑う大和の表情を見て、遼はほっと息を吐く。
「……私だって…柊の涙を見るのは辛いんだよ」
初めて柊に会った時、不思議に惹かれるところのある男娼だった。
抱きたいとは微塵も思わなかったが。
「そうだね……私が余計な事を考えすぎているのかも知れないね」
大和は目を伏せて微笑んだ。

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