東京拘置所

□美貌の青空〜業〜
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焼け落ちた娼館の、瓦礫の下から運び出された数体の焼死体。
三島はそれに丁寧に手を合わせ、一体一体を検分する。
それが客なのか男娼なのか、もちろん判別がつくはずもない。
明け方近くまで燃え盛った業火は、まだ所々で燻っている。
ここに何人の男娼がいたのか、内偵の結果で粗方の人数は分かっている。
あとは昨夜の客の人数が分かればいいのだが。
場所が場所だけに、身元を割り出すのは難しそうだ。
そもそも、この館の主はどうなったのか。
出火の原因は何なのか。
明らかにしなければならない事項が多すぎて、三島は深い溜息をついた。
「あとは頼む」
一度態勢を立て直す必要がある。
現場を部下に任せ、三島は焼け跡に背を向けた。



騒然としていたのは娼館の周囲だけで、通りを幾つか過ぎればまだ静かな時刻だ。
三島は再び深く息を吐く。
肺の中にはまだ、焼け焦げた空気が残っている。
「………」
ふと、三島は足を止めた。
人の気配がする。
右手には、寺への長い参道があった。
微かに靄がかかった中、三島は訝しげに目を眇める。
目に入ったそれは、生きている人間とは思えなかった。
しかし幽霊にしては存在感がある、と思ったが、三島は自分が幽霊など信じていない事を思い出す。
ゆらり、ゆらり、と歩いているその人影は、痩身の男性に見える。
人形のようにぎこちないその動きは、彼が裸足のまま砂利道を歩いているからだろう。
身に着けている着物は着崩れ、白い左肩が露わになっていた。
それは通常、男性が着るものではなかった故に、三島は彼が何者であるのかを理解する。
貴重な生存者であり、証言者になり得る存在だ。
三島はそちらに向かい、足を進めた。
背後から声をかけ、正面に回りこむ。
彼は呆然と目を見開き、三島の事などまるで見えていないかのように歩みを止めない。
「君は……」
彼に手を伸ばし、三島はその肩に触れた瞬間。
彼は糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。



「三島さん!!」
薬師神が足音も荒く部屋に飛び込んでくる。
彼が取り乱す姿は、滅多に拝む事が出来ない。
部下の、その滅多に見る事のない姿を見て三島はほんの少し笑う。
本当は笑い事ではないのだが。
「ああ、呼び戻してしまってすまないね」
かなり急いで来たのだろう、薬師神はしばらく呼吸を整えている。
その間も、視線は部屋の奥で医師の手当てを受けている男娼に向けられていた。
「柊……」
「そうか、彼は柊と言うんだね」
目を覚ましてからも口を開く事のなかった彼の名を、三島は呟いた。
「外傷はさほどひどいものではないんだが………目が見えていないようなんだ。だから、いきなり近付いて驚かせてはいけない」
三島は、柊に近寄ろうとする薬師神を片手で制した。
「……」
薬師神は眉をひそめ、柊を見る。
「お前の方が驚いたみたいだね」
苦笑しながら三島は少し声を落とした。
「……彼と話をしても、いいでしょうか」
「勿論。その為にお前を呼び戻した」
どうやら少なからず縁があったようだからね、と三島は笑う。
後は貴重な生き残りをどう扱うかを考えなければならない。
まずは、柊の口を開かせる事が第一歩だ。
柊に近付く薬師神とは反対に、三島は壁際まで退いた。
医師に手をとられ、真白な包帯を巻かれている柊は、虚空を見つめている。
「全く、朝っぱらから叩き起こされて。いい迷惑ですよ」
幾度か顔を見た事がある医師は、日高という若い男だ。
年の頃は薬師神とそう違わないだろう。
口ではそんな事を言っているが、包帯を巻く手つきは柊を労わっているようにひどく優しい。
それでも。
柊が震えている事に、彼に近付いてみて薬師神は初めて気がついた。
「………柊」
恐らく暗闇の中にいるのだろう柊を、恐がらせないように。
薬師神はそっと彼の名を呼んだ。
柊はびくりと肩を震わせ、そして見えない目で声の主を探す。
「……私が、分かるかい?」
薬師神は椅子に座っている柊の前に膝をつき、その手を日高に変わって自分の手のひらに乗せる。
細い指先の冷たさがじわりと伝わってきた。
「……やまと、さん……?」
掠れた声で、たどたどしく。
柊は薬師神を呼んだ。
どうしてここに居るのかと問うような声音だったが、それに答えるよりも先に、薬師神は柊に伝えたい言葉があった。
「よく無事だった」
そう声をかけると、それまでは失われていた表情が僅かに動く。
「大丈夫だよ、もう大丈夫だ」
その言葉が引き金だった。
柊の双眸に涙が溢れ、それは瞬きの度に零れ落ちた。




薬師神が柊をしばらく自宅に引き取る事にして彼を連れて帰ったのは、火災から10日余りが経ったある日だった。
業火から生き残った柊は、未だ行方の分からない娼館の主たちに狙われる可能性がある。
現に、他に難を逃れた男娼と見られる青年がひとり、数日前に死体となって発見されていた。
柊を守るためには、これが一番良いと判断したのだが。
「で。何かい。この目の見えない子猫をうちに引き取る、と?」
薬師神が真っ先に協力を要請した影平は、玄関から一段上がった座敷でどかりと胡坐をかいて座っていた。
こちらに背を向けている事から、あまり機嫌はよろしくないようだ。
「こんな早い時刻に起きているとは感心だ」
なるべく人目につきにくい時間を選び、薬師神は柊を自宅に連れてきた。
「……俺を何だと思っていやがるんだい」
影平は元々、薬師神と同じ職に就いていた。
いろいろな方向に破天荒な性格の彼は、しばらく働くうちに性に合わなくなったのか、ある時いきなりふらりと姿を消した。
それ以降は腕っ節の強さを武器に用心棒の真似事をしてみたり、薬師神も詳しくは知らない世界で生きている。
腹が減ったと言っては薬師神の家に入り浸り、眠いといっては泊まっていく。
ふらりといなくなったと思って長屋を訪ねていけば、賭け事ですっからかんに身包みはがされ、お情けに置いていかれた薄っぺらい掻巻一枚で震えていた事もある。
くだらない事には首を突っ込んでくるくせに、のっぴきならない状況になると妙にこちらに気を使うのが影平だ。
「そんなふうにしていたら、どちらがこの家の主か分からないね、遼」
「ここは俺の家も同然だぁね」
「そうかい?」
軽口を叩き合う間に、遼は背を向けていた格好からこちらに向き直る。
「ふぅん……」
柊の品定めをするように、遼は片方の眉を引き上げた。
「しかし何だね。お前さんは犬っころだの猫だの、すぐに拾ってきちまう奴だが、とうとう人間を拾って来たのかい」
わざと大きな動作で立ち上がり、影平は薬師神にどかどかと近寄るとその手から荷物を奪い取る。
「こないだ拾った犬っころは、ええと、8軒向こうのばあさんが番犬にって引き取ってくれたんだっけ。その前に拾った子猫は向島の姐さんが膝に乗っけて可愛がってくれてるがよぅ?全く厄介な事をすぐに持って返って来る男だよ。余程、業が絡まってるんだろうねえ」
「分かった。分かったから少し静かにしてくれないか。柊が怯えてしまう」
影平を宥めるように言うと、薬師神は柊を安心させるために微笑んだ。
微笑んだとしても、それは柊には見えていないのだけれど。
「大丈夫、口は悪いが意地悪くはないし信頼できる男だよ。私が懇意にしている者だから」
「すみません……ご迷惑をおかけします……」
気配を頼りに、柊は深々と頭を下げる。
「……一応歩くのに危なそうなもんは、片しといたよ」
面と向かって頭を下げられると居心地が悪いのだろう、影平はふいと再び2人に背を向けた。
「少し……いや、かなり、かな。不自由な生活だとは思うが。まずはこの家に慣れて、身体をはやく直す事だね」
薬師神は柊が段差に躓かないよう、ゆっくりと手を引いてやる。
柊はこれから、ここで暮らす。
安全だと判断されるまで、外出は出来ない。
彼がこの家で暮らす事を知っているのは、影平の他には三島と限られた人間だけだ。
娼館という牢から、ほんの僅か自由な籠へ。
それでも柊の疲弊した身体と精神が少しでも救われるように、薬師神は願っている。
「いずれ、外に出られるようになったら……」
言いかけて、薬師神は言葉を止めた。
怪訝そうに影平が振り返る。
柊の家族は、相模の手によって殺害されていた。
菩提寺で丁寧に弔ってくれてはいるが、早くそこにも連れて行ってやりたい。
そして。
あの化粧師見習いの青年とも、いずれ会わせてやらねばなるまい。
黙り込んで考え事を始めてしまった薬師神の腕を、影平が強く叩いた。
「お前が黙っていちゃあ、子猫が困るだろうが!何より俺が困る」
「……ああ、悪かった」
薬師神はもう一度苦笑を零し、柊の手を引いた。

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