捜査共助課4(短編小説)

□代償
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半年以上も待たせた罰だ、と『彼女』は真顔で言った。
少々ドスの効いた声で。
自分には何の関わりも無いし、罰を受ける理由はないと言い返そうとしたのだが。
自分が預かり知らない所で勝手に契約が出来てしまっていて、その契約と引き換えに自分が尊敬している人物が助かったのならば仕方が無い。
そう思いなおす。
そして結局、『彼女』には勝てないのだという事を思い出し、秋葉は黙ることにした。



「いやあああああん、やっぱり綺麗ねえ」
化粧水と乳液で整えた秋葉の肌に、ベージュの化粧下地を塗りながら、彼女……ローズママは声をあげた。
時刻は20時、場所はローテローズだ。
「でもちょっとこの前見た時よりも肌が荒れてるかしら。何か薬飲んでたりする?毎日きちんとご飯食べてる?駄目よ、不摂生はお肌の大敵よ?」
秋葉は閉じていた目を開けた。
なるべく無表情を装ってはいるが、内心は死にそうになるくらい気分が悪い。
これが薬師神のためでなければ、脱兎の如く逃げ出すか、胃液まで吐いてしまいたいくらいだ。
「柊ちゃん、人に触られるのが恐いのねえ………ん〜っ!!かわいいっ!!」
「………かわいい……とか……」
その言葉を打ち消すために口を開きかけたが、黙っておく方が得策だと、秋葉は僅かに眉をひそめただけで不快感を示した。
「ほら。その癖はやめなさいね。眉間にシワがはいって取れなくなるわよ」
ローズママは、右手人差し指で秋葉の眉間をぐりぐりと遠慮なく押さえる。
秋葉は、苛立ちの矛先を変える事にした。
「………何見てんだよ」
すぐ側にいる梶原を睨みつけ、威嚇する。
影平に言われ、今夜は秋葉のボディーガード的な役割を担うはずが、梶原はぽかんとした表情で秋葉が変わって行く様子を見ている。
「ほんと役に立たねえな。助けろよ、バカ」
小さく呟いたが、もちろんその声は梶原だけでなく、ローズママにも届いていた。
「柊ちゃん、言葉遣いが悪いわね」
ぴしゃりとローズママに叱られ、秋葉は黙った。
「不摂生で体調崩してるのは柊ちゃんの責任だし?それにこれは情報取引の代償でしょ?秀君に当たってもダーメっ」
「……ごめんなさい」
ここは素直に謝っておこう。
秋葉は横目で梶原を睨みつつ、謝罪の言葉を口にした。
「何を、見てるんですか梶原さん」
秋葉は梶原に再び問う。
言葉が丁寧になっただけで、剣呑さは増している。
「いえ、何でも……」
梶原はふるふると首を横に振った。
秋葉は舌打ちをして、またローズママに叱られた。
リキッドファンデーションを塗り、仕上げのパウダーを叩き。
アイブロウとアイラインを引く。
「ん〜…アイシャドウは…寒色系もいいけど、暖色系もいいかしらねえ……」
化粧道具を広げ、ローズママと店員は秋葉に似合う色を物色する。
「ママ…ちょっと俺、気分悪い……」
ファンデーションを塗られて皮膚呼吸が出来なくなりそうだし、微かな化粧品の香りが苦手だ。
天然由来の香りとはいえ、普段はほとんど嗅ぐ事のないにおい。
「ん、大丈夫大丈夫。もう終わるからね〜、いい子いい子」
さっさと秋葉の瞼に小さなブラシを這わせ、ローズママは微笑んだ。
ついでに頭を撫でられて、秋葉は思わず身を引く。
「はい、口ちょっと開いて」
リップブラシで掬ったルージュは、血の色。
秋葉は目を伏せてそれを見ないようにした。
「で、き、た」
ローズママが秋葉の目の前に鏡を置く。
「やだ、ちゃんと見てよぅ。柊ちゃんったら恥ずかしがり屋さん」
絶対に見たくは無かったのだが。
恐らく自分が鏡を見なければ、先に進まないのだろう。
秋葉は恐る恐る両目を開けた。
「ほら〜っ!!綺麗〜っ!!柊ちゃん、刑事辞めてうちで働きなさいよ!!」
きゃらきゃらと笑うローズママと店員に鏡越しに覗きこまれ、秋葉は無意識に手の甲で唇をぬぐいかけ、それを寸での所で思いとどまる。
「はい、着替えて着替えて!!」
強引に服を手渡され、椅子から立ち上がらされる。
梶原が、何とも困ったような表情で秋葉を見上げていた。
「てめえ、覚えてろ」
秋葉は口元を歪め、梶原にそっと囁いた。
「柊ちゃん!!!」
それはやはり、ローズママに聞きとがめられてしまったが。



「いらっしゃぁい」
ドアが開くと、からんからんとベルが鳴る。
「あらやだーっ!!久しぶりねえ!!もう私の事、忘れちゃったかと思ったわ」
カウンターの中にいた秋葉は、ローズママが客をテーブルに案内するのを目で追った。
50代前半、身なりはいい。
ある程度の社会的地位のある人間。
歩き方からして、左足が少し悪いのかも知れない。
つい日頃の癖で、その客を観察してしまう。
「柊ちゃん、おしぼり!!」
「はい」
半年以上前。
薬師神がある事件に巻き込まれた時。
その事件を解決するべく奔走した影平は、ローズママから情報を買った。
金銭や物品で買ったのではない。
影平が提示し、ローズママが快諾した条件は、秋葉だった。
結果、薬師神が探し続けている行方不明の双子の兄、翔の情報がもたらされたのだ。
薬師神のためならば、仕方がない。
秋葉はそう自分に何度も言い聞かせる。
空手の師範でもあるローズママは、当初秋葉を道場に誘うつもりだったようなのだが。
結局何故か、秋葉はローズママによって化粧を施され、彼女の店のカウンターにいる。
けばけばしい赤のワンピースを着せようとする彼女と店員に、それだけはやめてくれと半泣きになりながら懇願し、何とか鮮やかな青色のシルクのシャツ……肌触りが良すぎて逆に気持ちが悪い……と、黒のスラックスで勘弁してもらった。
もう、この先永久に影平とは口をききたくない。
週が明けたら課長に直談判して、せめて席換えをして欲しい。
そんな子供じみた事を本気で思いつつ、秋葉は客席へとおしぼりを運んだ。
無論、公務員はバイトを禁じられているので、無給。
しかも、内密の行動だ。
(全然内密になってないけど)
「いらっしゃいませ」
溜息を押し殺し、秋葉はローズママに教えられた通りの笑みで、客に接する。
学生時代自分は、何かバイトはしていなかったのだろうか。
ふとそんな事を思った。
「初めて見る子だね?」
にこりとその客は秋葉に笑った。
笑うと人懐こく、見た目の年齢よりも若く見える。
「新人なのよ。と言いたい所だけど、今夜だけなの。ね、柊ちゃん」
ローズママの声が弾む。
「おや、それは残念」
客は本当に残念そうに苦笑して、煙草を取り出した。
秋葉は無礼にならないよう絨毯の上に両膝をつき、テーブルにあったマッチを擦って火を灯す。
左手でその火を守るように囲い、客が咥えた煙草の先にそれを差し出した。
それは教えられたものではなく、自然な動作だ。
ローズママは満足気に目を細めた。
「……ありがとう」
秋葉に届かないよう、客は横を向いて細い紫煙を吐き出す。
梶原と談笑していた店員が、ウイスキーのボトルと氷、そしてグラスを運んでくる。
ローズママがそれを受け取ると、手早く酒の準備を始めた。
煙草の灰を灰皿に落とし、客は立ち去ろうとしていた秋葉を見上げる。
「左肩、傷めてるの?これからの季節は辛いだろうね」
おしぼりを運び、煙草の火を差し出した動作だけ。
それだけで。
秋葉は無言のまま客を見た。
「やだ〜!!何で分かったのすごい!!この子野球少年だったのよ〜。野球を諦めて以来、すっごい根暗になっちゃってね、今日は社会勉強させてるの」
ローズママが豪快に笑いながらグラスを客に差し出した。
秋葉は僅かに笑い、軽く頭を下げてカウンターに戻る。
梶原が紅茶を飲みながらも、懸命に耳を澄ませているのが分かった。
「そうか、通りで少し毛色の違う子だと思った。この店で働くような子には見えないからね」
客のそんな声が聞こえた。
「……大丈夫ですか」
梶原が問いかけてくる。
「……大丈夫ですよ。今更だけど何でお前がここにいるのか本当に意味が分からないんですけどね」
「それは……影平さんが心配して……俺もちょっと心配だったし……。あの、本当に影平さん、心配してたんですよ?本当ですよ?」
何度も同じ事を言わなくても、と秋葉は顔をしかめた。
正確には、しかめようとしてやめた。
この店はローズママの店だ。
ここでは彼女のルールが絶対だった。
それに秋葉が従う事で、一連の取引の契約は完了、そして終了する。
「だからあの……えーと……」
梶原にしては珍しく、歯切れが悪い。
秋葉は店内を見回した。
時折客としてここに来る事は、決して嫌いではない。
むしろ、居心地がいい場所だと思える。
視点を変えて同じ対象を見る事は、本当は新鮮で楽しい。
ここはローズママが守ってきた砦だ。
たくましく、女性らしく、彼女はこの場所で生きている。
「とっても綺麗です、秋葉さん」
梶原が散々迷った挙句に発した言葉は、秋葉の思考を途切れさせた。
「………そうか、そんなに俺に殴られたいか」
ハイヒールでも借りておけば良かった。
女王様よろしく、梶原の腹を踏んでやれたのに。
などと、秋葉は半ば本気で思う。
「柊ちゃんっ!!」
どこまでも地獄耳のローズママが、本日何度目かの叱責の声をあげた。
「すみません」
秋葉はそう言った後、口の動きだけで梶原を脅した。



約束は22時半まで。
客が途切れたので、秋葉はローズママに手渡されたダブルクレンジングで顔を洗う。
3度目の洗顔で泡を洗い落として、ようやく元の自分に戻れた気がする。
「……なんで写真撮らせてくれないのよう!!」
ローズママが口を尖らせた。
「それは契約には入ってませんから」
私服に着替え、更に秋葉は自分へと戻っていく。
「網膜に焼きついちゃいました、俺」
何故かカウンターの内側に入っている梶原が、にこりと笑う。
どうして彼は自分の発言で墓穴を掘っている事に気付かないのだろう。
秋葉は梶原を怒鳴り散らして脛を蹴り上げてやろうかと思ったが、もうそこまでの体力気力が残っていない。
「まあ、いいわ。ふふふふ」
ローズママが不気味に笑い、秋葉を椅子に座らせる。
「こんな時間だけど、ご飯食べて帰んなさい。どうせいつも不規則なんでしょう?」
大柄な身体で狭いカウンターに入り、ローズママは梶原の隣に並ぶ。
梶原と並ぶと、彼女の体格がよく分かる。
ご飯と彼女は言ったが、秋葉の体調を気遣ったのか、出されたものは野菜がたくさん入ったポトフだった。
「それを食べたら、今日はおしまい」
「………今日は……?」
なにやら不穏な言葉な気がして、秋葉はローズママの言葉を繰り返す。
「それ、お昼過ぎに秀君が来て野菜切ってくれたのよ。味付けは私だけど」
はぐらかすように、ローズママは笑う。
「ママ!!それは内緒ですってば」
梶原が慌てたようにローズママの肩を叩いた。
梶原がこの店に来たのは、ほんの1,2度のはずだが。
いつの間にか、馴染んでしまっている。
秋葉は梶原とローズママに促されて、いただきますと手を合わせた後で温かいスープを口にした。
「おいしいでしょ?駄目よ、しっかりご飯は食べないと。あと、睡眠ね」
「……はい」
今日は、泥のように眠れそうな気もする。
梶原が自分の分のスープを持って、秋葉の隣に座った。
「いただきます」
行儀よく梶原も手を合わせる。
今日の発言の数々は、このスープ一杯で帳消しに出来るものだろうか。
それでもいいかも知れない。
影平の事は、まだ腹立たしいけれど。
席換え嘆願はやめておこう。
「秀君、柊ちゃんの事が心配だったのよねえ。ありがたいわね、こういう同僚がいると。いっそあんたたち、付き合っちゃえばいいのにっ!!心の底から応援するわよ!!」
穏やかな終結へと傾きかけた秋葉の心は、ローズママの一言で、一気に振り出しへと引き戻された。

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