捜査共助課4(短編小説)

□再会
1ページ/1ページ

これから君と離れていた間の話をしよう

長い話になりそうだけれど

どこから話そうか



「あらぁ、気になる溜息ねえ。でもこの店は溜息禁止なんだけど?」
水割りを煽った後、ふと無意識にこぼした溜息を、カウンターの内側で氷を砕いていた彼女は聞き逃さなかったらしい。
「すみません」
薬師神は苦笑しながら謝る。
最近何かと自分達と関わりを持つ機会が増えた彼女は、ローテローズという店のママだ。
ローズママと呼ばれて客や店員に慕われている。
昼間は空手の師範をしているというママは、身体つきだけなら薬師神よりもがっしりとしていた。
ただし、心は立派な女性だ。
初めは事件絡みで秋葉と面識を得た彼女だが、いつの間にか影平や薬師神もローテローズの常連客になりつつある。
秋葉はどうやら彼女のいいオモチャになっているようだ。
先日も影平のせいで何やら大変な目にあったらしい。
秋葉は固く口を噤んで何も言わないが。
影平のせい、という事は、ひいては自分のせいではないだろうかと薬師神は心配している。
今日自分をここに誘った影平は、我関せずの知らん顔で、ひょろりとした長身の店員とカラオケに興じていた。
日付は変わり、12月28日。
いつもの年ならば、年末は特別に許可を取って実家から仕事場へ通っていた。
薬師神の実家は神社だ。
さほど大きな神社ではないが、それなりに年末年始は忙しい。
それを手伝うために、実家へ帰っていたのだ。
今年それをしなかったのには理由があった。
母親の伊津子の調子があまりよくないのだ。
入院中の伊津子の世話をするのなら妹の方が役に立ちそうだが、彼女にとって薬師神の顔は特別な意味を持っている。
薬師神の顔は、伊津子が失くしたただひとりの息子と同じ顔だから。
相変わらず伊津子は薬師神を認識しない。
薬師神は彼女にとって、唯一溺愛した息子の『翔』だ。
翔は薬師神の双子の兄だ。
一卵性だったから、きっと同じ顔なのだろう。
19歳で翔が行方不明になってから、伊津子は絶対に現実を見ようとしない。
それ以前の幼い頃から、伊津子に名前を呼ばれた事がない薬師神は、もはや彼女が生きている間に自分という存在を認めてもらう事はないだろうと思っている。
それを認めてしまってからは、翔のふりをする事もさほど苦痛ではなくなってきた。
恐らく、もう少しで終わるのだ。
最期の瞬間まで、伊津子の望むようにしてやるのも親孝行かも知れない。
12月28日。
自分と翔が生まれた日だ。
「大和くん、今日お誕生日なのね?遼ちゃんからきいたわよ」
グラスを持ったまま心ここにあらずという表情をしていた薬師神に、そっとママが言う。
「………」
薬師神が影平に視線をやると、店員と寄り添ってマイクを握っていた影平がひらひらと手を振った。
「………ジャイアンみたいだ」
ぐわんぐわんと大きな声で数年前に流行った演歌を歌っている影平を見て、薬師神は呟いた。
「ジャイアンっていいわよねえ」
ママは両手の指先を唇に当ててかわいらしく笑う。
何がいいんだろう、と内心で首をかしげつつ、薬師神は氷が溶けて水っぽくなったグラスの中身を飲み干した。
「ねえ、大和くんはどんな子供だったの」
新しい水割りを差し出され、それを受け取りながら薬師神は苦笑する。
「さあ?普通の子供だったと思いますよ」
「普通、ねえ?……じゃあ、翔ちゃんは?」
それを今日、自分に問うのか。
薬師神は僅かに剣呑さを含んだ笑みを浮かべ、ママの目を見る。
彼女の目は、とても正直だ。
好奇心でも興味本位でもない、ただの問いかけ。
ママは自分達兄弟の事情を知っているのだ、と言う事を思い出す。
薬師神はカウンターの木目へと視線を泳がせた。
「………さあ……もう、分かりませんね」
時間を止めた母親と、彼女が止めた時間へと時折戻って翔を演じる自分。
「俺はずっと…母の前で翔のふりをしてきましたけど」
伊津子の手のひらが優しく撫でていたのは、自分ではなく翔だった。
「本当の翔は、どんな奴だったんでしょうね」
狂った母親を自分に押し付け、ひとり逃げた翔。
憎んで憎んで、憎んだ。
彼を探し出して殺すために、警察官になったのだ。
酒の力もあって、薬師神はほとんど他人に明かした事のない話を途切れがちにママに話す。
ママは時折相槌を打ちながら、それを聞いていた。
翔を探す途中で、もしも影平に会っていなければ。
影平が薬師神の心の奥底にあるものに気付いていなければ。
今頃、翔も家族も、自分も生きてはいなかっただろう。
「遼ちゃんが大和くんを救ったのねえ…素敵っ」
ママはそう言ってはしゃいだ。
「ローズママ、最近翔に会いました?」
ママは翔と接点がある。
そのおかげで春先に起きた事件が解決できた。
完全なとばっちりで薬師神は腹を刺されてしまったのだが。
「翔ちゃんに会いたい?」
問いかけに、問いかけが返って来る。
薬師神はゆっくりと目を閉じて笑んだ。
「……もし会ったら。その時はどうする?どうしたい?」
閉じた目を開けると、ママが真剣な眼差しで薬師神を覗き込んでいた。
「殺したいですね」
するりとそんな言葉が口をついて出た。
「大和くんには無理ね。そんな優しい目じゃあ、人は殺せないわ」
躊躇する事なく放った言葉に、ママが柔らかな言葉を返してくる。
彼女との言葉遊びはとても楽しい。
2人はにこりと笑い合った。
いつの間にか、影平と店員の歌声は聞こえなくなっていた。



憎くないか、と聞かれれば憎い。
殺したいか、と問われれば殺したいのかも知れない。
本当は。
本当は。



「バカ大和〜!!顔が秋葉系になってる」
グラス片手に薬師神の隣に戻ってきた影平が、笑いながら言う。
「遼、飲みすぎ」
空になったグラスをママに差し出そうとした手を止め、薬師神は代わりに水が入ったグラスを手渡す。
「今日も午後から仕事なんだから。それくらいにしとかないと秋葉に叱られる」
酔っ払った後の影平ほど、秋葉にとって扱いにくいものはないだろう。
容易にそれが想像できるので、薬師神は影平に水を飲ませた。
「秋葉なんか恐くないもんね」
「お前のためにじゃなくて、俺は秋葉のために言ってるんだよ」
その言葉に、影平が頬を膨らませた。
「ふーん」
つまらなさそうに側にあったポッキーを咥え、影平は薬師神の方へ顔を向ける。
「ほいじゃあ、誕生日祝いにヤクとポッキーゲームしちゃろう」
「全力で遠慮する」
影平は酔うと本籍がある県の言葉になる。
薬師神は影平が咥えたポッキーを、指先で途中から折った。
「ええがの、つまりもせん」
「俺に分かる言葉で話してくれ」
折ったポッキーのやり場に困り、薬師神は結局影平の口へとそれを押し込んだ。
分かる言葉で、と影平には言ったが、彼が言っている事は大体分かっている。
「遼ちゃん、じゃあ私とポッキーゲームするぅ?」
ママが無骨な指でポッキーを一本摘み上げる。
「ローズママとはやだー!!ヤクがええんじゃあ!!」
「あら、失礼しちゃう」
肩をすくめ、ママはポッキーを食べた。
「おめでとー、ヤク。ママ、今日こいつ誕生日なの」
グラスに入った水を薬師神の水割りのグラスへと注ぎ、影平は満足げだ。
「ヤクかんぱーい!!」
「はいはい、ありがとうありがとう」
「あんたたちって、ホント仲良しねえ」
2人のやりとりを笑いながら見ていたママが、ドアへと目を向ける。
「いらっしゃい」
客が来たのなら、退散しようか。
薬師神は影平の様子を眺めてそう思う。
そして、何気なくママの視線を追ってドアの方を見た。
「………」
そこに居たのは。
「………翔」
探し続けた双子の兄だった。



一瞬で、自分の身の内に激しい感情が渦巻く。
その激情に揺さぶられ、吐き気がした。
ずっと頭の中では再会の場を思い描いてきたというのに。
ありとあらゆる、思いつく限りの罵りの言葉を兄に浴びせてやりたいと思っていたのに。
どす黒いもので一杯だった箱の蓋が開き、中身が一気に溢れ出る。
それが全て出て行った後で最後に残った感情に、薬師神は自分を嘲笑いたくなった。
許せない。
でも、会いたかった。
会いたかったのだ、翔に。


「かなりおせっかいだけど。私と遼ちゃんから、誕生日プレゼント」
長い沈黙を破ったのは、ローズママだった。
「……ヤク」
さっきまで酔っ払っていた影平に腕を掴まれ、薬師神は自分が立ち上がっていた事に気付いた。
頭の中が混乱し切っていて、状況がうまく飲み込めない。
「薬師神さん刑事失格〜」
小さく揶揄するような影平の声にカッとなり、それで逆に頭が冷えてくる始末だ。
翔の顔を見れば、彼も冷静さを保っているように見える。
結局何も知らされていなかったのは自分だけか、と薬師神は笑った。
19歳のままで止まっていた翔の姿が、一気に自分と同じ年まで追いついてくる。
(老けたなあ……)
そんな暢気な事が頭をよぎり、薬師神はまた笑いたくなった。
「翔ちゃん、そんなとこに突っ立ってないで。こっちに来なさいな」
「騙しましたね」
コートを脱ぎながら、翔がカウンターへと近付いてくる。
「だって、本当の事言ったら来ないでしょ」
ローズママは全く悪びれない様子で言う。
翔も、何も知らされずにここに来たのだ。
こんなにもポーカーフェイスが上手かっただろうか、彼は。
「大和……」
翔の声。
手が届く距離まで翔が来た時、薬師神は思わず後ずさりをしかけて影平に止められた。
「老けたなあ……」
複雑そうに翔が呟く。
やはり自分と同じ事を思っていたのだ、と薬師神は思う。
「ヤク」
影平が薬師神の背中を軽く叩いた。
「いいんだよ、言えよ。お前がどんなふうに何を思って兄貴を探してきたか、言ってやれよ。それぐらい兄貴だって黙って受け止めるだろうよ」
「……遼……酔ってたんじゃなかったっけ」
翔から目を逸らさないまま、薬師神が影平に問う。
目を逸らす事が出来ないのだ。
逸らした瞬間に、また失ってしまいそうで。
「酔うほど飲んでないし。ハイ、兄貴さんはこっち座ってね。あ、初めまして。大和君の親友の影平といいます。清くて純粋なオトモダチ関係です」
影平が差し出した右手に、一瞬呆気にとられた翔だったが、やがてやんわりと笑んで自分も右手を差し出した。
「よろしくよろしく〜。アンタのせいでこいつ春に腹刺されたの、俺本気で怨みに思ってますから。それも含めてよろしくよろしく〜」
翔の右手を掴み、ぶんぶんと振り回す。
言いたい事を言え、と薬師神には言っておきながら、自分が先に翔と会話を始めてしまうあたりが影平らしい。
薬師神は、一度だけ深い呼吸をした。
合気道で気を整える時の要領だ。
まず、翔に伝えなければならない事。
「翔……」
震えるな、と自分を叱咤して。
「母さんの命は……もう長くないと思う。……だから…その前に…」
翔の前では泣かない、絶対に。
薬師神は唇を笑みの形に結んだ。
「会ってやってくれ……。母さんは、翔が帰って来るのをずっと……待ってたんだ」
その言葉を言うのが精一杯だった。
「ごめん、大和」
痛みを含んだ眼差しで、翔が呟く。
あの日。
翔が消えた日と同じ表情。
同じ言葉。
「俺、警察官だから……翔のこと殴れないし。本気で殺してやろうと思ってたけど……殺せないし。なんだか職業選択ミスしたのかな……翔と会ったらしてやろうと思ってた事、何も出来ない」
握り締めた拳には、行く先が無い。
それほどに長い時間が経ったのだ。
「ヤクのバーカ」
ぽつりと影平の声がした。
「お前は何もミスってねえよ。何も間違ってない。まあ、一発くらい殴っても見て見ぬフリくらいしてやるけど……多分それはお前らしくない。とりあえず2人とも座れば?立ち話で済むほど、短い話でもないだろ」
2人がぎこちなく黙っている間、ローズママは水割りを作っていた。
そしてグラスを薬師神と翔の前に置く。
「誕生日おめでとう、ふたりとも。……さ、遼ちゃん!!あっちでチーク踊るわよ!!」
「チークですか、ママとチークダンス!!!よし来い!!柔道なら得意だ!!!」
必要以上に賑やかにしているのは、こちらに気を使っているからだろう。
そんな魂胆が丸見えだ。
「………良かった。いい仲間がいるんだ」
柔道の技をかけて、反対に空手の技を仕掛けられている影平の悲鳴を聞きながら、翔が笑う。
「………うん。翔には……?」
翔には、いるだろうか。
心を委ねられる相手が。
「いるよ」
僅かな間を置き、翔が答えた。
良かった、と思う。
薬師神は強張った口元を少しだけ緩める。
「いろいろ話がしたいんだけど……いい?」
問いかけに、翔は少し迷いを見せたが頷いた。
今日出勤したとしても、恐らく自分は使い物にならないだろう。
なるべくそんな事態に陥らないようにしたいが、睡眠時間は確保できそうにない。
そんな事を思いつつ、薬師神は口を開いた。
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ