捜査共助課4(短編小説)

□無題
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玄関のチャイムの音が、妙に間延びして聞こえる。
影平はそれに反応して目を開けたが、頭は痛いし天井が回っていて気分が悪い。
「あ〜……」
あ、に濁点がついたような声で、影平は喉から声を出した。
もちろん、そんな声では玄関の向こうにいるであろう来客には届かない。
「だ〜れだ……」
先週、影平はひどい風邪を引いた。
一応治ったと思われたので3日ほど出勤したのだが、昨日から再び高熱が出てしまい、非常に不本意ながら仕事を病欠している。
鬼の霍乱だ何だと言われているが、影平本人にとってもこんな事は初めてだ。
どうやら質の悪い風邪のようなので、妻子を先に実家に避難させておいて正解だった。
それは正解だったが、動けずにいるのがこんなにも不便だと思っていなかった事は失敗だったかもしれない。
仕事に関しては、自分の代わりが出来る同僚はいくらでもいる。
相棒の秋葉もむしろ自分がいない方が楽かも知れない。
いや、しかし秋葉は無事だろうか。
(俺がこれじゃあ、もしあいつ感染したら…耐え切れずに死ぬんじゃね?)
先日影平が休んだ時には無愛想なメールが何件か入ってきたが、どうやら今日は何の音沙汰もないようだ。
枕元の携帯の、着信ランプが点滅していない事は辛うじて分かった。
「あ〜……俺もう駄目……かーちゃん」
ふと無意識に亡き母を呼んでしまい、影平は苦笑する。
昔から身体だけは丈夫だったので、寝込む事など数える程しかなかった。
間延びしたチャイムがもう一度。
「あ〜……」
影平は目を閉じた。



夜まで爆睡すれば回復しそうなのに、眠っているとおかしな夢ばかり見る。
何度か携帯が鳴った気もするが、それを確認する気力すら起こらない。
汗で濡れた身体が気持ち悪い。
寒気を感じるという事は、まだ熱が下がっていないという事か。
そんな事を何処か冷静に考えていると、ぴとりと額に冷たいものが触れた。
「んあ?」
驚いて目を開けると、自分を覗き込んでいる顔が見える。
「大丈夫?」
「あれ……ヤク…」
どうやって部屋に入ったのだろう。
もしかして鍵は開いていたのだろうか等と考えていると、薬師神は困ったように首を傾げた。
「お前、ちょっと時間かかったけど自分で鍵開けたよ?その後いろいろ俺と喋ったじゃない。もしかして意識無かった?救急車呼んだほうが良かったかな」
おかしな夢を見ていたと思ったのは、それこそ夢だったのだろうか。
夢と現実の境目が分からなくなってくる。
「俺……何かヤバイこと言った?」
「………さあ……どうかなあ」
意味ありげな間を取り、薬師神は身を起こした影平にタオルを投げた。
「身体拭いて着替えろよ。そこに着替えだしといた。あと、とりあえずゼリー飲料でも腹にいれとくか」
ばふっと顔に当ったタオルを取り、影平は恨めしげに薬師神を見る。
「何?服脱ぐの手伝おうか?」
「いえ、結構デス。……何か、ヤな感じ。秋葉みたい」
秋葉みたい、と呟いた後で、影平はふと秋葉の事が気になった。
「なあヤク、秋葉生きてる?」
濡れたTシャツを脱ぎ、身体を拭いてから新しいものを身に着けると、少し気分が良くなってくる。
「秋葉?今朝俺が夜勤明けた時はまだ生きてたよ?ひとりで仕事してるみたいだけど」
台所から、かすかな物音と共に薬師神が答えた。
「……あ、そ。じゃあ、いい」
はあ、と溜息を吐き、影平は立ち上がる。
さすがに足元がふらついた。
「秋葉がこの後体調崩したら間違いなくお前のせいって事だね。秋葉だと更に重症化しそうだけど。高熱、肺炎併発、下手したら入院かな。入院長引いたりしたら今度こそ仕事辞めなきゃいけないかもね。ああ気の毒だなあ、秋葉」
「………おい。普段言霊とか言ってる奴が何言ってやがる」
そうならないように、自分としては珍しく細心の注意を払ったつもりなのだが。
影平は肩を竦めた。
そして、僅かな違和感を覚える。
「………ヤク、もしかして何か怒ってる?」
顔を合わせてから、まだ薬師神が一度も笑っていないような気がする。
「いいえ?何も」
ドラッグストアのビニール袋からゼリー飲料とポカリを出し、薬師神は影平に押し付けた。
「嘘。何か怒ってるだろ」
「いいえ?何も」
一度は影平に押し付けたものを取り返し、薬師神はそれぞれのキャップを開ける。
「とりあえず、飲め」
「うん」
影平も素直に頷いて、手渡されたポカリに口をつけた。
小さなペットボトルの中身半分程を一気に飲み、影平は大きく息を吐いた。
「これも飲め」
「うん」
影平がゼリー飲料を飲み込むと、薬師神はテーブルの上に放置された病院の薬袋を手に取る。
「薬、何時に飲んだ?」
「わかんね…ってか今何時?」
外は明るい。
しかし午前中か午後なのかが分からなかった。
影平は壁の時計を見る。
時計の針が指し示していたのは正午過ぎの位置だった。
「えーと……?」
「お前が熱出して早退したのは昨日の昼過ぎだよ。秋葉がここまで送ってきただろ」
「んんん……?」
影平が考え込んでいると、薬師神がすたすたと寝室へと入っていく。
携帯を持って戻ってくると、それを影平に差し出した。
「誰からも着信がないんじゃなくて、充電切れてるの。分かる?良かったね、仕事は先に休む手続きしといて」
実は最初に連絡がつかない事を心配したのは影平の妻、千佳だった。
昨夜は携帯で連絡を取り合ったが、今朝になって携帯は繋がらない、家の電話にも出ない、もしかして仕事に行っているだろうかと薬師神に連絡があったのだ。
彼女が実家から戻るよりも、夜勤明けの薬師神がここへ様子を見に行くほうが断然早い。
「で、俺が来たというわけですが。千佳ちゃんには大丈夫だから心配するなって連絡入れといた。お前からも連絡入れろよ」
「ああ…そうなんだ」
昨夜、千佳と話した事もあまり覚えていない。
どうやら24時間近く、意識がはっきりしていなかったようだ。
「それで、怒ってるんだ」
「そうだよ。これでもしも千佳ちゃんが鬼嫁でお前のことなんてどうでもよくて、秋葉もお前のことなんてどうでもいいって奴で、俺が……俺はそんな事はないけど……じゃなくて、お前、ほっとかれて死んだらどうするんだ」
文句を言っている本人も、既に何を言っているのかよく分からなくなっているようだ。
そんな薬師神を見て、影平は笑った。
「笑いごとじゃないって。もういいよ、お前寝てろよ」
「…せっかく起きたのに」
口答えをする元気が戻ってきたようだ。
調子に乗りそうな影平の額に、薬師神はフィルムを剥がした冷却シートを叩きつけた。
「って!!!」
「寝てろ!!さもないと……」
悲鳴を上げる影平に向けて、薬師神は声音を少し落とす。
「座薬入れるよ?これ。冷蔵庫にいれとかなきゃ駄目って書いてあるのに」
「ぎゃーっ!!!襲われるーっ!!!!」
影平はふらつきつつも寝室へと逃げていった。
締められた扉を眺め、やれやれと薬師神は肩を落とす。
そうだ、肝心な事を言い忘れるところだった。
「誕生日おめでとう。去年にも増して散々な一日だね。遼」
「………去年よりはマシ」
昨年の今日は、薬師神が兄の翔に間違われて刃物で刺された日だ。
「後で、お粥でお祝いしような」
「ええ……最悪。やっぱり最悪」
扉越しに会話をしながら、影平は布団の中に潜り込んだ。

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