東京拘置所

□美貌の青空〜冬〜
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「急に冷え込んだねえ……」
ありったけの着物を着こんだ遼が、古びた火箸で赤い炭をつつく。
近寄れるだけ火鉢に近寄って背中を丸めているその姿に、大和は少し苦笑した。
外は快晴だがその分だけ寒い。
時折吹く強い風が、戸の隙間から座敷へと吹き込んでくる。
五徳の上には鉄瓶が置かれていて、先刻から白い湯気が立ち上っていた。
「もう師走だからね」
大和は白湯の入った湯飲みを両手で包んでいる。
今日は仕事も休みで、せっかくだから家の中の掃除でもしようかと思っていた所へ遼がやって来た。
「少し温まったら……」
「嫌だね」
障子の貼り換えをしたいのだが、と言いかけた所を遼に遮られる。
「じゃあお前さんはここに居るといいよ。風邪を引かれても面倒だからね」
自分はどれだけこの男を甘やかすつもりなのだろうか、と思いつつ。
大和は白湯を飲み干して立ち上がる。
これから家中の引き戸を開けて障子を破く作業をするのだから、いくら火鉢の前にいたところで寒かろうに、とは思うのだが。
「……あ。もしかして障子破くのかい」
はた、と顔を上げて遼が問う。
「そうだよ」
障子を破いてしまう前に、もう一度、糊を練り上げて置かなければ。
土間に降り、大和は遼を振り返る。
「障子を破くのはお前さん、好きだろう?」
「こう寒くちゃあ、やる気が起きないね」
遼はわざと背を丸めて見せた。



「ごめんください」
やる気が起きない、と言っていた遼が、庭で嬉々として障子紙を破いていた所に、少し遠慮がちな声が聞こえた。
「……おう」
風呂敷包みを手にした柊が、背後に立っている。
「ごめんなさい、玄関で声をかけたのですが……こちらに気配があったので」
「そんなに遠慮すんなよ、ここはお前の家も同然だ……って俺が言うのもおかしいか」
両手の埃を叩いて落とし、遼は立ち上がった。
両目を傷めて一時期視力を失っていた柊は、一人で外を歩ける程に回復している。
この家を出て、今は梶原と近くの長屋で暮らしていた。
いずれはそうして別々に暮らすようになると分かっていたのに、大和と遼は、柊がいないこの家にしばらく慣れなかった。
「仕事はどうだい」
「おかげ様で。ようやく慣れてきました」
縁側に座るように言うと、柊はちょこんとそこに座る。
「おや、元気そうだね」
奥の座敷から大和が出てきた。
「仕事はどうだい」
大和も遼も、柊の事を気にかけている。
同じ問いを受けて、柊は微笑んだ。
ひと月ほど前から、柊は遼の伝手によって向島の依子の元で働いている。
芸妓たちに読み書き等を教えているのだ。
「依子姐さんも本当によくしてくださいますし……大丈夫です」
「そう。それは良かった。上がって火鉢に当たるかい?」
大和の言葉に、柊は首を横に振る。
「障子の貼り換え、お手伝いしますね。それと……今日初めてのお給金をいただいたので……これを大和さんと遼さんに」
柊は膝の上に置いた風呂敷包みをそっと開ける。
それは大きな徳利に入った日本酒だった。
「大和さん。遼さん」
柊は立ち上がり、二人の方へと向き直る。
「本当に、ありがとうございます。これから少しずつでもご恩をお返ししていきます」
深々と頭を下げる柊を見て、大和と遼は顔を見合わせる。
特に遼はどうすればいいか分からないというような表情だった。
ぶっきらぼうではあるが、一番に柊の事を気にかけて面倒を見てきたのは遼だ。
面と向かって礼を言われると照れてしまうのだろう。
「よせやい」
遼は手を伸ばして、柊の黒髪を乱暴に撫でる。
「お前も、俺の家族みてえなもんだ。気ぃ遣うこたぁねえや」
柊は家族を殺され、大和も遼も梶原も、それぞれ血縁者がいない。
孤独な者同士が身を寄せ合って、新しい家族を形成するのも悪くないと大和は思う。
「柊。顔を見せておくれ」
大和は柊を呼ぶ。
柔らかな陽に当たっても黒い瞳が、真っ直ぐに大和を見た。
その目が開かれていても何も見えなかった日々の事を思うと、こうして柊が生き生きとした表情を見せている事が奇跡のようだ。
「ああ、随分落ち着いたねえ……」
大和も縁側から手を伸ばして柊の頭を撫でた。
少しくすぐったそうに柊は笑う。
「お掃除、お手伝いします」
着物の袖から覗く腕はまだまだ細い。
大和は微笑んだ。
「じゃあ、お願いしよう。玄関から上がっておいで」
「はい」
踵を返す柊を見送り、遼は徳利を指先でつついた。
「なあなあ、大和」
「掃除が終わったらね」
今度は遼の言葉を大和が遮った。
ちぇ、と口を尖らせて、遼は障子紙をびりびりと破いた。

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