捜査共助課4(短編小説)

□献血バトル
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「うぉぉい、秋葉あ。回覧回覧」
相変わらず絶妙のバランスで積み上げられた書類やファイルの山の向こうから、影平の声がした。
ぽい、とクリップで止められた何枚かの文書がこちらに向かって放り投げられる。
「………」
ノートパソコンを攻撃してくるそれを右手で止め、秋葉は顔も上げずに回覧と赤い判が押された白い紙を見た。
陣野から回される回覧は、目を通したら各自が印を押して次の課員に回し、最後は課長の三島の元へ行く形式なのだが。
「影平さん。これ、何日止めてたんです?」
「ああ?しらね。さっき出てきたから」
聞くだけ無駄だった、と秋葉は引き出しから印鑑を取り出した。
影平も、全てに関していい加減なのかといえばそうでもない。
本当に緊急の、例えば今日中に回さなければならない急ぎの文書などは速やかにこちらに投げ込んでくる。
分かってやっているのだと思うと尚更脱力しそうになるので、秋葉はあまり影平がそんな事をする理由を考えないようになった。
「………献血バスが来てるらしいぜ。なんか目標は400mlで目標50人って」
「まさにその回覧を止めてたんでしょう?せっかくだから2リッターくらい抜いてもらってきてください」
「ヒドイ。死ねってことか」
自分の名前の枠に判を押し、秋葉は梶原のデスクへと回覧版を置いた。
梶原は本庁へ出張中だ。
「すみませーん、今日献血できそうな方、何人いらっしゃいますか?」
庶務の高科久美が声を上げる。
1階の事務からの問い合わせのようだ。
フロアにいた課員のほとんどが手を上げる中で、秋葉は無言のままパソコンのキーを叩いていた。
「あれ?お前は?そうかあれか、重度の貧血とか比重が足りないとかか」
手を上げない秋葉に、影平がそう言う。
毎度毎度、分かっていてそんな事を言うのだ。
「…輸血を受けると献血はできません。残念ですが」
「ああ、そっかそっかあ」
そうだったそうだった、と影平が呟く。
本当に忘れていたのかもしれない、と秋葉は思ったが、もはや口を開くのも面倒だった。
影平との会話はいつもこうだ。
最後は自分が疲れ切って口を閉ざす。
「でもお前、その前も比重が足りなくてダメだったじゃん。覚えてない?」
「都合の悪い事は思い出さない主義なので」
いい加減、黙ってくれないだろうか。
今打ち込んだ文字に誤字を見つけ、秋葉は苛々とバックスペースキーを右手薬指で叩く。
「ただいま戻りましたっ!!下に献血バスきてましたよ」
外は冬に逆戻りしたような寒さだが、梶原は今日も元気だ。
性格が素直で明るい彼がこの場にいると、フロア全体の空気が明るくなる。
いいムードメーカーだと秋葉は思う。
「う!?…なんか、ここだけ空気がどろどろしてますね?」
デスクに鞄を置きながら、梶原は秋葉と影平の顔を交互に見比べた。
「いつもの事だろう」
おかえり、と付け足して秋葉は呟く。
梶原はにこりと笑った。
不愛想ながらも秋葉がそう言ってくれた事が嬉しいのだ。
「お時間ある方、献血バスが今空いてるそうですよ」
再び久美が声を上げた。
それに応じて数人の課員が立ち上がる。
影平も上着を脱ぎ、シャツの袖を捲って左右どちらの血管がいいかと眺めていた。
「今日は右かなあ……なあ、梶原、どう思う?」
「あ。右でしょうね。さすが影平さん、いい血管です!!俺は左かなあ」
どうして献血でここまで楽しそうになれるのだろうか、と秋葉はふたりの会話を聞きながら何だかおかしくなった。
笑いをこらえきれず、思わず唇が笑みを結ぶ。
「何だよ」
「別に何も。留守番してますから、さっさと行ってきてください。ありったけの血液取ってもらってきてくださいね」
「梶原ぁ。こいつさっきから俺に死ねっていうんだよう」
しくしくと泣き真似をしながら、梶原の腕を取り影平はフロアを出ていく。
不意に訪れた静けさに、秋葉は仕事の手を止めて天井を仰いだ。
どうも大塚署員は献血になるとテンションが上がる者が多い。
その筆頭が影平だった。
血の気が多いのだろうか、いや確かに多いけれど。
「こんにちはー、お邪魔します!!」
何処かで聞いたことのある声がした。
今残っている課員の中で一番ドアに近い位置にいる秋葉が、そちらに目をやる。
そこに立っていたのは少年課の宮本だ。
通称、ルーズリーフ君。
それを更に縮めて、るーと呼ばれている。
ちなみに名づけ親は梶原だ。
「げっ!!」
人の顔を見た瞬間、そんな事を言う人間もどんなものだろうか。
秋葉も口には出さないが、似たような事を思っていたのだが。
「梶原なら献血に行った」
どうせ梶原に用事なのだろう、と先にそう言ってやる。
「そうですかぁ。ありがとうゴザイマス」
何だか影平と同じようなカクカクとした言葉だな、と秋葉は思う。
要は、自分の事が気に食わないのだろう。
納得して、秋葉は既に宮本には興味を失ってパソコンへと視線を向けた。
今日中にいくつか終わらせておかなければならない報告書がある。
時間がもったいないのだ。
「行かないんですか?献血。あ、もしかして貧血とかで無理なタイプですか?」
本当に、影平と並べて殺してやろうか。
秋葉は腹の底からそう思った。
「うるさい、黙れ」
久々に自分の出せる中で最も低い声を出す。
「図星だ。貧血なんだ」
どうして自分の身の周りにはこんな奴しかいないのか。
確かに去年の身体検査では血液の項目で貧血に引っかかった。
要精密検査になり、結果服用する薬に鉄剤が加わったけれど。
けれど。
(………充分情けない)
反論しようとする前に、影平と宮本に何一つ勝てる要素がない事に気づき、秋葉は溜息をつく。
逆に、何の反論もしてこない秋葉に恐れをなしたのか、宮本は肩をすくめてドアの向こうに一歩足を引く。
「ほうれん草とか、レバーとか、どうっすか…ダメ?」
ドアを閉める瞬間、宮本が残した言葉が聞こえた。
(食べてるよ。なるべく食べてるけど)
宮本に気を遣われてしまった事に何となく傷ついてしまう。
もう二度と献血はできない身体なのだが。
せめて貧血だけは改善しようと心に誓う秋葉だった。

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