第4取調室

□cage
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Scene:2


人は


矛盾の塊


偽り続けた心など


いとも簡単に崩れ落ちていく


『conflict(相剋)』


「秋葉さん……?」
目の前にいる彼は。
先程まで『秋葉』だった、もの。
同じ顔、同じ声。
だが全てが、梶原が知っている秋葉とは違う。
それでも、彼をそう呼ぶしかなくて。
梶原は彼を秋葉と呼んだ。
「何で、そんな不思議そうな顔してるんだ?」
ゆっくりと壁伝いに立ち上がろうとする梶原の頬に、まるで猫のようなしなやかな動作で彼は手をかけた。
「秋葉さんは……何処?」
「ここにいるだろ?馬鹿だな、お前」
そう呟いて、彼はまた笑った。
「ああ、そっか……」
ふと思いついた、とでも言うように、彼は梶原の額を指先で小突いた。
「俺はあいつが創り出したもうひとつの人格…とでも言えば、その物分りの悪そうな頭でも理解できる?」
「…………」
言葉を失った梶原を、呆れたように見て。
彼は明らかな嘲笑を浮かべた。
「じゃあ、もうちょっと噛み砕いて説明してやろうか?今日は俺、久しぶりに表に出られて機嫌がいいから」
梶原の返答を待たず、秋葉は梶原のシャツの胸元を掴み、押し倒すように背後の椅子に座らせた。
そして顔をしかめた梶原を見下ろし、茶色の髪をそっと撫でる。
「誰でも、どんな人間でも。その人格の中に善と悪を含んでる……これは分かる?」
「………分かる」
ようやく梶原が答えた。
満足そうに目を細め、彼は言葉を続けた。
「普通の人間は、その二つにうまく折り合いをつけて、飼いならしてる。お前だってそうだろ」
無遠慮に髪を絡め取る指先に、梶原は嫌悪感を覚える。
「でもあいつは……いや、俺達はって言ったほうがいいのかな。いつの間にか混ざらなくなった。あいつは心に作った檻の中に、俺を閉じ込めるようになった」
彼の目に、一瞬憎悪に似た感情が宿る。
「お前がよく知ってるあいつを、善とすれば俺は悪。プラスと呼ぶなら俺はマイナス。明なら暗。水と油……白と、黒」
「檻……から……どうやって出てきたの…?秋葉さんは何処に行ったの」
彼の手を掴み、梶原は問う。
「前から、時々出てきてたよ?お前とも話した事、あるじゃない。あれ?いつだったっけ……」
彼はくるくると表情を変える。
その事も秋葉とは違いすぎて、梶原の感情はとてもこの現実に追いつけない。
「命を懸けた、賭けをしようって…言ったのは、あなた?」
あれは昨年の10月。
彼岸花が咲いた頃。
自分が秋葉の悪い夢の中に足を踏み入れたのだと思っていた。
「当たり」
彼はくすりと笑う。
片手は彼の手を取ったまま、痛む唇に空いた手を当て、梶原は半分固まった血の塊を確かめた。
「受け入れられない現実をなんとか消化するために、あいつが自分で俺を創ったんだ」
「いつから……?」
梶原は、更に力を込めて彼を捕らえる。
「さあ…知らない」
初めて彼が不愉快そうな表情をした。
「でもずっと…俺があいつを助けて来た。あいつの狂気や不安を食って生きてきた」
大きく腕を振って梶原の手を振り解く。
「だから俺はね…痛みとかさ…、そんなものは全然感じないように生まれてきてる」
梶原の指の跡がついた手を見つめた後、彼はゆっくりとキッチンを見回す。
「証拠、見せてやろうか」
彼は片付けの途中だったシンクに置かれたナイフを見つけ、そちらに手を伸ばした。 
「やめろ!!」
彼が何をするのか、それを悟った梶原が声を上げる。
「動くなよ」
そう言った後で、彼の唇が弧を描いた。
よく研いだその刃先が、彼の、秋葉の左腕を薙ぐ。
彼が痛みを感じた様子は一切なかった。
それどころか愉悦に満ちた表情を浮かべ、梶原の喉元にナイフを突きつけてくる。
「ね…?…躊躇いなく殺せるんだよ」
彼の左腕からは鮮血が流れ落ちていく。
「俺なら、簡単に殺れる。お前も、あいつも」
「秋葉さんが死んだら…あなたも消えるんでしょ……」
妙に気持ちが落ち着いてきた。
自分自身の状態を他人事のように思いながら、梶原は呟いた。
「いいじゃない、消えても」
事も無げに答え、ぽたぽたと床へ落ちていく血液を彼は見つめた。
「それが、あいつの望みなんだから」
彼は左手をゆっくりと持ち上げ。
梶原の髪を掴んだ。
白いシャツの袖が赤く染まっていく。
「本当、お前が邪魔なんだ」
ちり、と鋭い痛みが梶原の喉元に走る。
「あいつを、救う、なんて、無理、だ」
一言ずつを区切り、彼は笑う。
「救いたいとか救えるとか、思ってる……お前のその傲慢さがキライ」
「……秋葉さん……!!」
悲しくも無いのに。
涙が溢れそうだ。
梶原はまた、心の何処かで冷静にそう思った。
「無駄だ」
そっと囁いて、彼は梶原の喉元からナイフを外した。
「何処にいるの!!秋葉さん!!」
「うるさい!!」
彼は身の内に沸き起こる苛立ちを隠そうともしない。
掴んでいた梶原の髪を乱暴に捻り上げ、梶原の顔を上向かせる。
「………呼んでも、無駄だ」
あの場所は、冷たくて、暗くて。
「あいつには、お前の声なんか聞こえない」
「聞こえる!!」
「…………」
ふと。
頑として言い張る梶原を見る彼の目が、僅かに痛みを含んだ。
ひとつ息を吐き、声音が穏やかなものに変わる。
「本当に、聞こえないんだよ。俺がここにいる間、あいつは眠ってる」
逆に言えば。
秋葉の意識が無い間だけ、彼がこうして出て来る事が可能という事だ。
「俺は檻の中にいる間も、あいつに何が起きているか、全部知ってる。でもあいつは、俺が何をしてるか何も知らない。受け入れたくないから何も見ない」
ただ、膝を抱え。
光も差さぬ暗闇の底で。
深く、深く、眠る。
「お前になんか、救えない」
「……返せ……」
突きつけられていた、ナイフよりも鋭く梶原の心を抉るもの。
彼の口から語られる、秋葉の現実。
「秋葉さんを返して!!」
叫んだ途端、梶原の双眸から涙が溢れた。
それを見て、興が醒めたとでも言うように、彼は表情から一瞬で感情を消していく。
「時間切れだ…」
独り言のように、そう呟く。
彼の手から滑り落ちたナイフが、床で音を立てた。
白と黒。
相反するその存在は、灰色の世界で混ざり合う。
それが出来なければ。
どちらかが生き残るために、片方を食らうまでの事。
それが相剋だと。
彼は笑い、消えた。
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