捜査共助課3(短編小説)

□永遠
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2人が現着した時。
薄暗い空から落ちてくる雨は小降りになっていた。
その場所にはハッチを開けた救急車が一台と、交番から自転車で駆けつけた制服警官が2人いるだけだった。
慌しく動いている様で、少し緩慢な空気。
「被害者は?」
肩につけた無線で署に連絡を取っている若い警官、恐らく巡査だろう、が通信を終えるのを待ち、影平は声をかける。
傘を差す程の降雨ではない。
現場で傘を差す程、余裕があるわけでもない。
「お疲れ様です!状況は……」
彼は頬を紅潮させ、ちょっとした興奮状態だ。
誰でも最初はそうだ。
現場の空気に触れれば、気分が高揚する。
(いや、若干一名、除外)
影平はその巡査から説明を受けながら、傍らに立って、もう1人の年配の警官と高級マンションを見上げている秋葉の涼しげな横顔を見た。
その頬を雨の雫が伝うのを何となく視界に留め置き、未だ搬送を開始しない救急車の中を覗き込む。
「おんやあ?」
現場のマンションの名前を聞いた時。
そして現着した時。
僅かに頭の片隅に引っ掛かっていたもの。
それが、救急車の中で座って応急処置を受けている男の顔を見た途端、歯車が噛みあって動き始める。
「お邪魔しまっす」
影平は軽く言うと、救急車に乗り込み、警察手帳をそこにいる人間に見せる。
「あ〜あ、いい男が台無しだ。いや、むしろ男前度が上がったか、な?」
被害者の前で応急処置を施していた救急隊員を押しのけ、影平はその被害者を見下ろす。
止血の為に、額と頬にガーゼを当てられているその男の顎に手をかけ、影平はにやりと笑った。
「んだよ、またアンタ?」
まだ20代前半に見える、その被害者。
職業はホストだ。
バランスの取れた身体つきと、綺麗に整った顔立ち。
だが今は顔の半分は白いガーゼに覆われている。
今は影平が見下ろす形になっているが、彼が立ち上がれば軽く影平を見下ろす程度には背が高い。
上背はあるが、鍛えすぎてはいない。
適度に頼りがいがあって、適度に女性の母性本能をくすぐるラインなのだろうか。
「俺だって、好きで来てるんじゃない」
弾く様に、彼の顎から手を離し、影平はメモを取るためのノートを取り出す。
「ねえ、これ、傷残っちゃう?早く病院連れてってよ」
彼は影平の存在を無視する事に決めたのか、上目遣いの少し甘ったれた口調で受け入れ先の病院を探す隊員に声をかける。
Tシャツにジーンズ、という服装だが、色が黒なのでそこまで血液が飛んでいるかは分からない。
彼らは昼夜逆転の生活をしている訳だから、通常であれば眠っている時間だろう。
傷が残るかどうかは自分達では判断がつかないという返答を寄越した救急隊員のそっけなさからみて、警察が現着するまでの間、散々彼らも振り回されていたのだろうと推測が出来る。
救急車をタクシー代わりにする輩が増えたという昨今、確かにこの傷ならば救急車を要請しても構わないと思われるが。
駆けつけた先にいる要救助者が、どんな人間なのかまでは選ぶことは出来ない。
「で?大輔君。今度は誰にやられたのかな?」
隊員と、労いの眼差しを交わした後で、影平は彼を見る。
「んなフツーの名前で呼ばないでよ」
「うるせえ、稲田大輔くーん」
見事に脱色した茶色の髪に、左手の指先を絡ませる仕草にも腹が立つ。
影平は、わざわざ彼が嫌っている本名をしつこく口にしてやる。
「大輔のすけって字が、助けるって字だったらもっとよかったなあ?大ちゃん」
「勘弁してよ」
稲田大輔は、頬を覆うガーゼをわざとらしく撫でながら溜息を吐く。
影平も、別にホストという職業に対して嫌悪感を抱いている訳ではない。
真っ当に、真剣に生きているのならば、別に構わないと思う。
しかし、違法な店を運営している経営者が多いのもまた事実だ。
彼が身を置く店は老舗で、そういう違法な店ではない事は既に分かっている。
問題は、彼の生き方の方だ。
「やっぱ、心当たりが多すぎるか」
「………まあ…俺くらい人気者になるとねえ」
稲田は、ふう、と溜息を吐く。
彼がこの手の傷害事件の被害者になる事は、実は初めてではない。
ここ数ヶ月で、影平が覚えているだけでも3回目だ。
これ程見える場所に傷をつけられたのは初めてかもしれないが。
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