捜査共助課4(短編小説)

□無題
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とりあえずの検査を終えて病室に押し込められたらしい影平を見舞うため、傷の処置を終えた秋葉は8階の病棟へと上がる。
「秋葉」
人気のない談話コーナーの片隅にある案内板で日高に教えてもらった病室の番号を探していると、背後から声をかけられた。
よく知った声だ。
「……ヤクさん」
別のエレベーターで上がってきたのだろう、今日は非番だったはずの薬師神がそこにいた。
「怪我は大丈夫か?」
初めに会うのが彼で良かった、と秋葉は思う。
頷いた秋葉に安堵の表情を見せながら、やはり影平の事が気がかりなのだろう。
薬師神は彼にしてはやや忙しなく、次の問いを口にする。
「影平は?」
「医師の話では、特に異常はないようなんですが。現場で脳震盪も起こしているので…」
「あのバカ。どうせ油断してたんだろう」
口では辛辣な事を言っているが、明らかに薬師神の肩から力が抜ける。
影平の自宅経由で病院に来たという薬師神は、影平の妻から入院道具一式と悪態を預かってきたらしい。
「……お前は?」
薬師神の言葉に、秋葉は不意を突かれる。
「お前らしくないような気がするんだけど」
薬師神が知る秋葉は、慎重な人間だ。
相手を過小評価して侮る事をしない。
今回の被疑者との体格の差と、ひとりでそれと対峙せざるを得なかった事を考慮しても、この結果に何処となくしっくりと来ない違和感がある。
秋葉は唇を引き結んだ。
「……すみません」
ようやく押し出したその言葉と表情に、薬師神は眉をひそめる。
「すみません。やはり、影平さんに合わせる顔がないので……」
薄暗い中で、自販機の灯りだけがぼんやりとその場を照らしている。
すぐ先にはナースステーションがあった。
あまり急を要する患者がいないのか、慌ただしさはなく、ただ静かに空調の音だけが聞こえている。
「すみませんでした」
秋葉は何も言わない薬師神に頭を下げ、踵を返した。



面会時間など激しく無視した時刻だが、患者が警察官であり見舞う側も警察官という事がある種
の免罪符になる。
事情聴取という名目で、薬師神が影平の入院している個室に入った時、まだ彼は目を覚ましていた。
眠れないのだろう、と推察できる。
それが易々と被疑者に攻撃を許した自分への悔しさなのか、秋葉を守る事が出来なかった事への悔しさなのかと問うと。
影平は両方だと答えた。
「お前に合わせる顔がないと言っていた」
「ふーん………」
先刻の秋葉の言葉をそのまま告げると、影平は面白くもなさげにそう言う。
「何があったんだろう…と俺は思うんだけど」
相模の事件から今まで、秋葉は必死でこの仕事に食らいついてきた。
立ち止まってしまったら、僅かでも恐れを感じてしまったら、もう二度と立ち上がれないのではないかという恐怖感が時折見て取れた。
それをどうしてやる事も出来なかったのだ。
「あいつね……止まっちゃったんだと思う……頭ン中が」
影平の呟きに、薬師神は深い溜息を零した。
「まあ、俺が倒れてたから。それに多分気を取られたんだと思うよ、最初は」
ベッドに横たわったまま、影平がその場面を思い返すように右腕で両目を覆う。
「俺が見た時は、完全に相手が秋葉に圧し掛かってた。そこまでの過程は正直分からないけど…でも…相模って…聞き間違いじゃないと思う。あいつ、はっきりそう言った」
視界を奪われ、向かってくる相手がただの影にしか捉えられない状態で。
その影が秋葉の目には一体何に見えたのか。
それは想像に難くない。
「だから。ああ、とうとうあいつ、止まっちゃったんだって…」
相模によって密かに植え付けられた恐怖心が、いつ起動するのか。
それは秋葉自身が最も恐れていた事に違いない。
「悪い事した。合わせる顔がないのは俺の方だ。情けねえ」
苦い呟きだった。
「でも…無事で良かった。お前も、秋葉も」
まだ両目を覆ったままの影平の腕を、労うように薬師神は軽く叩く。
「ふん……」
軽く息を吐き、影平は唇の端を歪めた。
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