【2】

事の顛末を話すと、学内で一番気の許せる友人であるリヴァルは、完全に動きを停止した。
彼の言いたいことを、スザクはよーくわかっている。
出来れば黙って続きを聞いて欲しいところだが、無理な話だろう。

「『僕のモノになって』って、お前それ本気で言ったの!?」

ほらきた、とスザクは思った。
わかっている。自分が言葉を大いに間違えたことくらい。
スザクはただ、少年にモデルをやってもらいたかっただけなのだ。
なのに、気持ちが焦って出た言葉が・・・『僕のモノになって』。
これじゃあ、どんな人間でも眉をひそめて逃げ出すだろう。
カバンを顔面に投げつけられたって、文句ひとつ言えやしない。
警察に通報されなかっただけ、まだマシだろう。

「それで、愛しの彼には逃げられちゃったわけ?」
「・・・その言い方は誤解を招くからやめてよ」
「本当のことだろ〜?で、逃げられちゃったんだな?」

呆れた顔で聞いてくるリヴァルをちらり、と上目に見てスザクは首を振った。

「OKもらった」
「・・・は?」
「だから、OKもらった」
「はあ!?それって、お前のモノになるって、そう言ったってこと!?」
「ち、違うよ!!モデルになってくれるって言ったってこと!!」
「でもスザク、カバン投げつけられて昏倒したんじゃなかったのか?」
「それは・・・」

そう。変態とも取られかねない発言と同時に、スザクの世界は完全に暗転した・・・のだが。
この話はここで終わらない。
なんと、少年はスザクが目を覚ますまで近くの公園で介抱してくれたのだ。

「それはまた心の広い・・・」
「クリーンヒットするとは思わなかったから驚いたんだって」
「俺だったら、絶対放って置くけどなぁ」

その件については、スザクも同意する。
結果オーライとはいえ、本当に変態相手だったらどうするつもりだったんだろう、と。
そして気になったので、そのまま疑問をぶつけてみたら、彼はあっさり答えた。

『ああ・・・それは、考えなかったわけでもないが・・・まあ、さすがに顔面攻撃してきた相手とラウンド2開始はないかと思って』

甘い。角砂糖3つ入ったココアよりも甘い。
自分の行動はさて置いて注意は促しておいたが、はっきり言ってとても心配だった。
あれは、自分の危険に疎いタイプだとスザクは思う。
そしてそれは恐らく、間違いではないはずだ。

「それで、そのままモデルの件もOK貰っちゃったと」
「冤罪で暴力振るった借りは返すんだって。本当に、律儀というか・・・」
「まるで、大和撫子だなぁ〜」
「ちょっと、違う気がする・・・」

確かに、容姿は大和撫子と言えなくはないけれど。
話してみれば案外、男らしいというか。
まあ、そこも魅力的だけど・・・と思い、スザクは首を振った。
魅力的、って何だ。
モデルとして。そうモデルとして、魅力的という意味だ。
そうに違いない。そうに決まってる。

「・・・何、一人で首振ってんの?」
「え、や、うん。ごめん。なんでもない」
「まあいいけどさ。で、そのスザクの心を射止めちゃった少年がもうすぐここに来るんだよな。俺、すっげー興味あるんだけど!!な、見てっていい!?」
「見世物じゃないんだから・・・」
「モデルっつったら見世物だろ!!見せてなんぼじゃん!!」

リヴァルがスザクの肩を抱いて言ったその時。

「――そういう見解なら、この件は遠慮させていただいてもいいですか?」

扉の方から、声がした。
変声期を過ぎてもなお少し高さの残るテノール。
この声は、とスザクはリヴァルを引き剥がし慌てて扉の方を振り返る。
そこには、扉にもたれかかるように体を預け、腕を組んでこちらを見ている彼が。
夕日色を纏わない、素のままの彼が居た。
電灯の下で見る彼は、昨日よりもとても美しかった。

「こんにちは。約束どおり来ましたよ。・・・でも、もう帰ります。さようなら」
「わぁ!!ちょっと待って!!リヴァルの言ったことなんて気にしないで!!ほら、リヴァルも早く謝って!!」
「ご、ごめん。ちょっとした悪ふざけのつもりだったんだけど・・・」

こういう場面で、即座に素直に謝れるリヴァルを、スザクは好ましく思う。
眉を寄せていた彼も、誠意のこもった謝罪を前にそれ以上怒るつもりはないらしい。

「良いですよ、別に。被写体としては正直どうかと思う発言ですが、描かれてしまった後については、確かに見世物に違いないですから」

ふふ、と笑う少年に嫌味は感じられない。
純粋に、彼個人としてそういった意見を持っているのだろう。
でも、それは違う、とスザクは思う。
他の人の意見は知らない。けれど、スザクに於いて言えば、その考えは間違っていた。

「でもスザク、ホントすっげー美人じゃんか。同じく絵を描く者の一人として、思わず描きたくなっちゃう気持ちがわかった。・・・こりゃ、スランプも裸足で逃げ出すわ」
「え」
「え?」

少年が、思わずといったように声をあげたから、スザクとリヴァルもつられたように声をあげた。
そこで、気付く。
ああそういえば、自分は彼にスランプで描けない身だということを言っていなかった・・・と。

「あ、ごめん。もしかしてスザク言ってなかった?」
「うん。でも別に隠してたわけじゃないから。・・・ところでリヴァル、先生に呼ばれてるんじゃなかったっけ?」
「へ?うわぁ!?もうこんな時間!?ごめん、行くわ!」

腕時計を確認すると、リヴァルは慌ててカバンを引っつかみ駆け出す。
よほど焦っていたのだろう。
元々開きっぱなしだった扉を、わざわざ勢い良く閉めていったその背を、スザクは苦笑しながら見送った。

「騒がしくしてごめんね。あと、そんなとこに立ってないでこっちにおいでよ」

扉の傍に立っていた少年は、しばし呆然としていたがスザクの声に我に返ったようだ。
ゆっくりと歩を進め、用意された椅子に腰掛けた。
そのちょっとした動作にも、言い知れない気品のようなものが漂っていて、スザクは目を細める。
初めて会った日から、スザクには少年がどこか世界から浮いているように見えるのだ。
それは彼が、誰もが認める美少年だからかもしれないし。
スザクの世界で今、唯一色を持っているせいかもしれない。

「描けるんですか?」

紫色の瞳がスザクを見ながら、唐突に問いかけた。
スザクは少しだけ驚いた様子で彼を見つめ、そして答える。

「・・・君が、手伝ってくれれば描けるよ。きっと」
「ふーん」

彼は座ったばかりの席から離れた。
そしてそのまま、用意していたセットの方へと歩いていく。
ぎしり、と音をたてベッドにも似た舞台の上に彼が座って。
シーツに見立てた白い布に小さな皺がよるのを、スザクはぼんやりと見つめた。

「ここでいいんですよね?」
「え、あ・・・うん」
「・・・どうかしました?」
「もしかして、慣れてるのかなって思って」

スザクはまだ、何も言っていない。
どこに居て欲しいとも、どんな体勢をとって欲しいとも、言っていない。
それなのに、目の前の綺麗な彼は自分で舞台を見つけて、躊躇いもなくそこに座った。
初めてモデルをする人間が、こんな風に動けるだろうか。
そう考えたところで、スザクは自分の中によくわからないモヤモヤとした感情があることに気付いた。
その感情をどうにか拭い去りたくて反応を待ったが、少年は笑って「さあ?」と言っただけだった。

「はじめませんか?」
「そう、だね」

声を合図に、スザクは彼を描く準備をはじめる。
少年に背を向け、気付かれないように大きく息を吸った。

(なんだか・・・緊張するな)

今まで、描くことに緊張することなんてなかったのに。
久しぶりだからだろうか、とスザクは思う。
それから、ちらりと少年の方を向いた。
少年は、スザクの方を見ていない。
視線を落とし、何かに思いを馳せているかのようだった。
綺麗な横顔だなと思う反面、何故か紫の瞳が自分を見ていないことが不安で声をかける。

「じゃあ、始めるね。・・・とりあえず、最初は楽にしてもらっていいから」
「わかりました、じゃあさっそく」

答えると、彼の白い手が黒い制服の詰襟へと伸びた。
何をするんだろうと考える前に、ぱちん、と止め具のはずれるような音がして、そのままボタンが2つ、3つとはずされていく。

スザクの心音が、ひとつ大きく鳴った。

凝視するものではないとわかっていても、視線をはずすことが出来ない。
乾いた唇を密かに舐める赤い舌に、指先が震える。

(僕は・・・何を、考えて・・・っ)

まるで、情事を連想させるかのような彼の雰囲気にのまれて、頬が赤くなっていくのがわかる。
もちろん、楽にしてといった言葉通りに首元を寛げたのであろう彼にはそんなつもりはないだろうし、スザクにだってそんなつもりは・・・ないはずだ。

ないはず、ではあったが、出会った瞬間から、スザクを虜にした黒い髪と紫の瞳。
今しがた肌蹴られたシャツの下からのぞく、白い肌。
自分は、今からこの体の全てを描くのだ。
そう思うと、なんだか酷く興奮した。
画家としての本能なのか、いち男としての本能なのか。
それは、わからないけれど。

「体勢は?」
「普通に、ごく自然な感じ座ってて。何枚かラフで書いてみたいから、指示はその都度させてもらうよ」
「わかりました」

聞いてきたので、答える。
実に事務的な作業だ。
なのに、その受け答えの間にも、スザクの中の燻るような熱は冷めない。

仮設ベッドの上で、左足を抱えるように座る少年の姿を見ながらも、妙な感情を振り払うように手を動かした。
予想していたよりも、ずっと・・・驚くほど軽快に手は動いた。
紙を滑る黒鉛の音が、静かな部屋に響く。
他には、何の音も聞こえない。
喉がからからに渇いたような気がするのに、唾を飲み込む音を拾われるのが恥ずかしくて、そのままでいた。



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